(VOVWORLD) - 今から50年前の1973年9月21日に、ベトナムと日本は正式に外交関係を樹立しました。両国関係が樹立されてから半世紀という重要な節目を機に、本日は「ベトナム人と日本人の国際結婚」をテーマとした特別番組をお送りいたします。
(音楽)
この50年間、ベトナムと日本の関係は益々発展しており、今はかつてないほど良好であると評されています。両国関係の発展につれて、両国の人々の交流も活発になっており、その中で、ベトナム人と日本人の国際結婚が増加する傾向にあります。日本法務省の出入国管理統計表によりますと、2021年12月末時点で中長期のビザをもって日本で暮らすベトナム人は約43万人、そのうち配偶者ビザを持っている人は5,435人で前年と比べて9.1%増となったとしています。これにより、日本人が国際結婚をした相手国の中で、ベトナムは7位に立っています。日本以外の国に暮らしているベトナム人と日本人の夫婦と合わせれば、結婚を通じて両国のつながりが深く浮き彫りになったものと言えるでしょう。
しかし、歴史をみると、両国のつながりが強かった時代もあり、当時ベトナム人と日本人の結婚もあったということがわかりました。これは400年以上もさかのぼる歴史です。
(音楽)
ベトナム中部にあるホイアン市は16世紀末以降、ポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人が来航し国際貿易港として繁栄しました。1601年にはベトナム中部を統治していたグエン(阮)氏は、徳川家康に書簡を送って正式な国交を求め、江戸幕府との取り引きが急速に拡大しました。朱印状による約30年間にわたる朱印船貿易のうち、当時のベトナム中部には71隻が入港しました。ホイアンには大規模な日本人街や中国人街が形成され、1623年にはオランダ東インド会社の商館も設けられるなど、繁栄を誇りましたが、間もなく江戸幕府の鎖国により、日本人の往来が途絶えました。
1,000人規模の日本人街もあったと言われるホイアンでは、ベトナム人と日本人が結婚し、暮らしていたことを示す文書などがあります。当時のベトナム人と日本人の最も代表的な結婚は、御朱印貿易商であった荒木宗太郎さんと、ベトナム中部を統治していたグエン(阮)氏の養女「ゴックホア(玉華)」との結婚でしょう。長崎からホイアンへ赴いた荒木宗太郎さんは、グエン(阮)氏から信頼を得て王女「ゴックホア」と結婚させられました。江戸幕府の鎖国により、荒木宗太郎さんは奥さんを長崎へ連れて帰りました。王女は長崎の人々から「アニオーさん」として親しまれ、生涯を長崎で過ごしました。「アニオー」という呼び名は、ゴックホア姫がベトナムの言葉で宗太郎にいとおしく呼びかける、愛するあなた「アイン・オーイ」を長崎の人々が耳にし、そのまま姫の愛称となったものとされています。
アニオー姫の輿入れの様子は、毎年10月7日から9日まで開催される長崎の祭事「長崎くんち」において、7年に1度「御朱印船」の演目で今も再現され続けています。アニオー姫の輿入れの様子を再現する演目「御朱印船」について長崎県議会の富岡勉元議員は次のように語りました。
(日本語のテープ)
ポルトガルやオランダ、中国、ベトナムなどの文化の風合いを色濃く残した、独特でダイナミックな演し物を特色としている「長崎くんち」は長崎の人々の誇りです。長崎市民の話です。
(日本語のテープ)
(音楽)
400年前のアニオー姫は長崎の人々に愛されていましたが、現在、日本人男性と結婚しているベトナム人女性は日本でも活躍しており、良い評判を得ているという話も少なくありません。その一人は、37歳のブイ・ティ・ゴック・トゥイ(Bui Thi Ngoc Thuy)さんです。
ブイ・ティ・ゴック・トゥイさん |
(音楽)
ベトナム人のブイ・ティ・ゴック・トゥイさんは6年前に日本に渡航しました。彼女は宮城県岩沼市にあるご主人の農事組合法人の再興を手伝い、まじめに働いてきました。トゥイさんは宮城県国際化協会により、「県内で活躍している外国人の1人」に表彰されました。
トゥイさんは南部ドンナイ省ロンカイン市に生まれ育ち、ホテルのマネジメント、およびレセプション学を専攻しました。ホーチミン市でホテルのレセプション係を務めながら、ネイルサロンを経営していた時、農業指導などの仕事でベトナムに滞在していた日本人の村上和之(むらかみ・かずゆき)さんを知人に紹介されて、2017年に結婚して日本に引越しました。ご主人の家は太平洋沿岸から2.5キロほどの場所にあり、2011年の東日本大震災では津波の被害を受けました。家を建て直し、3年前から義父母と夫と子どもの5人で暮らしています。彼女はSNS=ソーシャルネットワーキングに野菜の手入れや収穫、調理の様子や家族のイベントなどを収録した動画を公開し、数百万ページビューを得ました。「奇をてらったものではなく、日本での実際の暮らしぶりを見てもらいたいと思って作り始めた」と語りました。
ご主人の家の周りに50ヘクタールの農場があり、農事組合法人として再興して最新技術を使ってお米や野菜を作っています。当時、会社の従業員2人の結婚退職などがありました。農作業はしたことがなかった彼女は従業員の結婚退職などがあって、人手不足のため、0度以下の寒空の下で、70歳以上の姑が農場に出て、野菜の収穫や包装などをして、大変な様子を見て、手伝うようになりました。それは彼女の農作業に従事するきっかけとなりました。トゥイさんの話です。
(テープ)
「日本に渡航した直後、会社のわずか2人の従業員は結婚退職しました。夫はいつも心配ごとがあり、食事も喉を通らず、身体と神経も酷く衰弱してしまいました。夫と姑の苦労に気を遣い、一緒に農作業をするようにしました。その後、野菜の栽培・収穫を担当し、夫は稲作に集中しています。最初は、考え方や文化・言語の違い、義父母世代とのジェネレーションギャップ、厳しい寒さにより、ストレスもかかりました」
トゥイさんの家族 |
毎日、朝4時から8時まで、トゥイさんはご主人と一緒に農場で働いています。その後、家に戻り、子どもの面度を見たり、顧客の注文をチェックしたり、昼食を作ったりしています。彼女は忙しくて朝食を抜くこともあります。午後はまた、畑仕事をします。雨の日以外は、毎日、農場で様々なことをしています。例えば、田植え機を走らせたり、農業用ドローンを制御して除草剤を散布したり、土地を整え、種を蒔いたりしています。農業のことを全く知らなかったことから、現在、トゥイさんは水稲など、複数の作物の栽培プロセスに精通するようになりました。また、トゥイさんは近所のスーパーへの野菜の配送も担当しています。日本は、ベトナムのように同じ種類の野菜を1年の間に何度も収穫できませんが、季節ごとに色々な野菜があります。トゥイさんは包装など見た目を工夫することを提案しました。例えば、トウモロコシは粒の状態が見えるように一部だけ葉をむいて袋詰めにすることです。中身が見えて安心して買ってくれたお客さんは、味の良さに納得して、その後は他より値段が高くてもうちの野菜のリピーターになりました。また、スーパー管理者の高評を得て、トゥイさん夫婦の野菜がスーパーの通路を行きかう客の目を引く陳列棚に並べられるようになり、消費量もだんだんと増えていきました。「努力の結果が目に見えて、嬉しいし、さらにやる気がでる」と語りました。
トゥイさんはライフスタイルや文化の違いを克服し、ご主人の会社で重要な存在となっています。また、自分の創意工夫と勤勉さを生かし、倒産寸前だったご主人の会社の立て直しを大いに助けました。トゥイさんのご主人 村上さんは次のように話しました。
(日本語のテープ)
ご主人の仕事を手伝う傍ら、トゥイさんは姑との良い関係づくりに成功しました。彼女と姑との課題は考え方やライフスタイル、仕事のやり方の違いでした。トゥイさんの姑 村上あつ子さんは若い頃、活発な女性であり、夫、および息子と一緒に、家族経営の会社の農業生産活動を運営していました。ただ、彼女の考え方とやり方は現在、若者のそれとは異なっています。トゥイさんはお互いのことを理解し慣れてくれば、関係が良くなると考え、嫁姑の結婚生活における関係を良好なものにするため、取り組んできました。2018年末に、トゥイさんは第1子男児を出産してから、姑と仲良くなりました。現在、姑は日常生活でトゥイさんを大いに助けています。村上あつ子さんの話です。
(日本語のテープ)
6年間を振り返り、悲しみ、喜び、幸福などさまざまな感情を経験したトゥイさんは家族と一緒に穏やかな生活を送っており、安定的な事業活動を行っています。トゥイさんは次のように語りました。
(テープ)
「家庭内の愛情は私にとって毎日、頑張るための大きな励ましとなっています。幸せとは毎日、簡単に感じられるものです。愛する家族の人たちと一緒に仕事をして、彼らの激励を受けることは私に更なる大きな目標を実現するためのモチベーションとなります。美しい日本で生活を送ることができ感謝申し上げます。ベトナム人であることを誇りに思っています」
トゥイさんによりますと、この状況に置かれていることが、良い意味で、彼女の運命であり人生です。ご主人や家族、周囲の人に助けられていますが、自分ができることはとことんやる、そして最良の結果が得られるようにこれからも頑張っていきます。
ドゥクさんと中村さん |
(音楽)
トゥイさんと同様、日本人女性と結婚している29歳のレー・チエウ・ドゥク(Le Chieu Duc)さんの動画も若者の間で人気があります。お聞きいただいているのはドゥクさんの動画の音声です。ホーチミン市出身のドゥクさんは2014年、日本に留学しました。居酒屋でのバイトを通じて、長野県出身の中村 美緒(なかむら みお)さん(今年22歳)と出会ってすぐ恋に落ち、2019年に結婚し、現在は東京都中野区に住んでいます。ドゥクさんは自分のフェイスブックで自己紹介するとき、「29歳になると、世間は家も車もあるけど、私には超かわいい日本人の妻と、200万人のフォロワーを持つ『DucMio』というティックトックチャンネルしかない」としています。ではここで、レ・チエウ・ドゥクさんと中村美緒さんの結婚生活について伺います。
(日本語のテープ)
(音楽)
ベトナム人と日本人の国際結婚は両国関係を反映するものとしてこれからも益々増えるでしょう。ベトナムと日本の外交関係樹立50周年おめでとうございます。ではここで今日の日本語放送を終了いたします。リスナーの皆さん、さようなら。