ちょうど20年前の1996年11月16日に国連教育科学文化機関は国際寛容デーを設置しました。それ以来、この日が来るになると、ベトナムを含む多くの国では、寛容な行為を推進、顕彰する様々な行動が行われてきました。
ベトナムでは、寛容に関する幾つかの諺があります。例えば、「売るなら遠くにいる兄弟に、買うなら近くの隣人」とか、「他人の過ちを許して水に流す」とか、「きれいな葉が破れた葉を包む」とか、「空腹のときの一口と満腹の大袋は同じ」。さらに、「他人を自分のように愛する」、「去る者追わず来る者拒まず」などです。
大昔から、ベトナムでは、先人らは外国の敵に勝った後、外敵の帰国にあたり、食糧や馬車を与えていました。例えば、15世紀中国の明朝の侵略を打ち破った指導者で思想家でもあったグエンチャイ(1380年~1442年)は、独立戦争の詳細を筆記した『平呉大誥』の中に「捕虜になった明朝の兵士を人道的にあつかい、彼等の食料と帰りの道を確保した。海を渡って帰る兵士に500余の船を与え、陸路で帰る兵士には、数千の馬を与え、人道的なはからいをした」と記しています。
今日でも、ベトナム人の寛容の心を示す多くのお手本があります。アメリカの多くの復員軍人は、かつてのベトナム戦争中に、中部クアンガイ省ソンミ村虐殺事件などを行い、重大な犯罪を犯しました。彼らは1968年3月16日に、大多数の女性と児童を含む非武装のベトナム民間人504人の命を奪ったのです。この虐殺事件に関与したアメリカ人復員軍人は、その後、過去の過ちに気づき、ベトナム人の許しを請うために、事件の現場に戻ってきました。この虐殺事件の目撃者の一人であるファム・ティ・トアンさんは「アメリカの復員軍人が謝罪した言葉についてどう思っているか」と尋ねられると、「ソンミ村虐殺事件の中で、親族6人が死んだ。この損失には賠償できる物はなかった。しかし、それは過去のことですから、自分の罪ちを認めてきたアメリカの兵士の過ちを許す」と答えました。一方、アメリカのボブ・ケリーが指揮する特殊部隊SEALは、1969年2月25日の南部ベンチエ省タックフォン村虐殺事件の中で、非武装のベトナム民間人21人を殺害しました。後に、アメリカ上院議員になったケリーさんは「私の中に常に蘇る悲しい記憶が耐えられない時がある。タックフォン村の住民に謝罪したい。」と反省しました。これに対し、被害者の遺族側は「怒りは山ほどだったが、憎悪の念を抱き続けたくない。もう平和になった。過去を忘れる人はいないが、そのまま憎悪を抱いていても何も解決しない。彼らの良心に任せる。」と明らかにしました。
そして、最近の話にもあるように、ある裁判の中で、被害者の母親と被告の母親が抱き合って、泣いている二人の母親の姿は多くの人を感動させました。被害者の母は裁判官に親愛なる子どもを殺した被告に減刑を求めたのです。これらは、素晴らしい行動であるのみならず、ベトナム人の仁愛と寛容の心のお手本となっています。
過去を忘れることはないが、憎悪と共に永遠に暮らさないでください。愛情と寛大の心は徐々にその憎悪を解除してしまいます。寛容というのは「許す」という意味ではありませんが、人間の基本的権利を認め、人としての道を重視するということです。ベトナム人にとって、寛容は人生の最大の贈物となっています。