ガーさんの日本語教室
ベトナムでは、現在、多くの生徒と学生が日本語を勉強しています。日本語の学習は日本語センターだけでなく、一部の中学校で導入されるようになりました。その一方で、日本語の家庭教師は日増しに普及しており、日本語愛好者のニーズに応えています。
今日のこの時間は、日本に暮らし働いていた事があるガーさんの日本語教室を訪問してみましょう。
ガーさんの日本語教室は、ハノイ工科大学敷地内の集合住宅にある3階にあります。約20平方メートルの部屋には、講義用と学習者用の机と椅子が置き、大きなカバンが壁にかかっています。
この2年間、この部屋では、毎週の火・木曜日に日本語教室が開かれています。1クラスには2・3人しかいません。
(日本語練習のテープ)
技術大学の学生タオさんはここで練習しています。彼女の他には二人の男性がいます。3人とも、日本語センターで勉強した事がある人たちです。しかし、日本語教室は参加者が多すぎるめ、先生と練習する時間が少なく、終了するまで時間がかかり過ぎるので、ガーさんを家庭教師に選ぶことにしました。
これまでにガーさんの日本語教室で学んだ人は学生、新卒業者、日系企業の労働者、日本に留学する人など、様々な人たちでした。
ベトナム人に日本語を教えると共に、ガーさんは日本人にベトナム語を教えています。こうした方法はガーさんの講義の質的向上にも役立っているようです。
(テープ)
「外国人にとってベトナム語で発音することは本当に大変なことです。そこで、私はもっと効果的な教え方を探さなければなりません。日本語の講義で、日本人を招き、ベトナム人と交流させます。ベトナム人が日本語で、日本人がベトナム語で交換することができるので、皆さんはたいへんリラックスしています。」
こうした教え方は、他の家庭教師と違っていて、学生に人気があります。
技術大学4年生のリンさんはそのように評価しました。
(テープ)
「日本語を初めて勉強した時は本当に大変でした。でも、このクラスで、日本人と直接に話し合えるので、日本語の面白さを感じ、日本語がさらに好きになりました。」
ところで、ガーさんは5年間、日本で暮らしたあと、ベトナムに戻り、日本語を教える夢を実現させました。現在、日本語家庭教師の傍ら、日越文化交流協会の日本語センターで日本語を教えています。ガーさんは「当時、大学院生だった夫と一緒に日本で暮らしている間に、日本語を習得し、日本人と接した結果、日本の人々と国を愛するようになった」と明らかにしました。その結果、日本語を教えることにしたのです。
(テープ)
「日本に滞在している間に、私は教科書や、現地の日本人から教わった様々な見識を積みました。日本人の教授法はとてもプロです。短時間で、外国語を最も効果的に勉強することが出来ました。その他、日本人の愛情、生活で困難な状況を乗り越えることができました。それらのことをベトナムの人々、特に若者や日本の会社に勤めたい人、または、日本に留学しようとする人に伝えたいのです。」
ガーさんは日本語の家庭教師に留まらず、もっと大きな夢を抱いています。
(テープ)
「日本にいる時、日本語学校を開きたいと思いました。実際、ベトナムでは、多くの日本語センターがありますが、主に、初級レベルを短期間で教えています。私の夢は、多くの生徒が高校を卒業した後に、日本語の卒業証明書を獲得するのに4年かかりますが、私の場合2年間だけで日本語を教えたいのです。しかし、ベトナムに帰国してから、資金不足など幾つかの困難にさらされました。その上、同じ意志を持つ人に呼びかける必要もあります。現在までに、私はまだその夢を現実にすることが出来ません。しかし、その大きな夢へ向けて小さな夢を実現することになります。それは、日本語の家庭教師に従事することです。」
日本語教師の熱心さ、特に、思い切った発想と思い切った行動により、ガーさんが自らの夢を早めに現実化させることでしょう。