西南国境の戦勝、ベトナムとカンボジア関係における歴史的節目

(VOVWORLD) - 1月7日は西南部国境の戦争勝利、及び、ポルポト政権転覆40周年となりました。

この出来事は両民族の友好関係の歴史的な節目となり、西南部国境でのベトナムの正当な自衛権を確認するとともに、カンボジア国民を大量虐殺から救い出し、平和、民族和合、発展の時代に入ったことに寄与するものであると見られています。

40年前に、西南部に駐屯するベトナム人民軍と住民は一丸となって、祖国の独立と領有権を確保するため、戦闘に励む一方、カンボジア国民をポルポト派による民族皆殺し作戦から救出しました。

祖国防衛と国際責任

1975年4月、ポルポト派は首都プノンペンを占領しました。都市住民の農村入植と強制労働といった極端な原始共産性社会への回帰政策を実行しました。旧政権関係者、都市の富裕層()や知識層、留学生などが虐殺されました。カンボジアの独裁者ポル・ポトによるポル・ポト政権が始まってから、ベトナム軍とカンボジア救国民族統一戦線(ベトナムに亡命した反ポル・ポト派)に解放されるまでのたったの4年間でカンボジアの総人口800万人のうち約300万人が虐殺されました。

1978年1月、ポルポト軍はベトナム領内を攻撃し、住民を虐殺しました。こうした中、ベトナムはカンボジア救国民族統一戦線の要求を受け、カンボジア国内に進行し、ポルポト政権を転覆させました。

ベトナムは正当な自衛権を行使し、カンボジア民族を大量虐殺から救出するという国際責任を果たしました。

第7軍管区の元司令官であり、「人民武装勢力の英雄」称号を持つチエウ・スアン・ホア中将は次のように語りました。

(テープ)

「当時、ベトナム人は食糧不足に遭遇しましたが、カンボジア避難民に食糧・食品を供給し、彼らの生活に有利な条件を作り出しました。また、カンボジア救国民族統一戦線と協力し、カンボジア革命軍を訓練しました。我々はカンボジアの幹部と一緒に暮らし働き、今でも、兄弟のような関係で結ばれています。」

ベトナム・カンボジア関係の歴史的な節目

1978年12月31日、ベトナムはポルポト軍により占拠された領土を奪還しました。その後、カンボジア革命政権の要求に応え、志願兵をカンボジアに派遣し、カンボジア解放を支援してきました。1979年1月、ポルポト政権の支配が終焉()しました。

4日、ハノイで行なわれた西南部国境の戦争勝利を記念する式典で、グエン・スアン・フック首相は発言に立ち、次のように強調しました。

(テープ)

「ベトナム西南部国境の戦争勝利はベトナムとカンボジア国民だけでなく、世界の進歩的人類の勝利でもあります。ベトナムにとって、この勝利はベトナム国民の頑強不屈の精神だけでなく、カンボジア国民に対するベトナムの党、国家、軍隊の熱心な支援を表しています。」

理に適ったこの戦争で数多くのベトナム人が犠牲となり、又は、()()いました。各世代のベトナム人とカンボジア人はこの犠牲を忘れられないでしょう。カンボジアのヘン・サムリン国民議会議長は「ベトナムの志願兵の支援は最も人道的かつ適切な支援である」との見解を示しました。一方、フンセン首相は「ベトナムの支援がない限り、カンボジアは早い解放がなかった」と強調しました。そして、カンボジア上院副議長で、カンボジア発展・団結国家戦線国家評議会のTep Ngorn名誉議長は次のように語りました。

(テープ)

「カンボジア国会、上院、政府、国民を代表して、ベトナム共産党、政府、祖国戦線、人民軍に改めて感謝の意を表明します。ベトナムの党、国家、祖国戦線、軍隊、及び国民は大きな犠牲を払い、カンボジア国民を残酷な虐殺から救出し、わが国の平和回復に貢献しました。実際、ベトナムの適宜で効果的な支援と支持はカンボジアを戦争から抜け出させ、国家統一や発展事業に寄与しました。」

1979年1月7日の勝利は愛国主義を立証し、ベトナムとカンボジア民族の団結で友好関係の象徴となっています。

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