廃墟から立ち上がる日本

今日のこの時間は東日本大震災から2年が経ちました。自分で執筆した記事をご紹介します。

私は、日本国際交流基金ハノイ事務所提供のドキュメンタリー「日本一心」を見て、日本に戻ったような気がしました。

私は、東日本大震災発生の数日後、在ハノイ日本大使館に出向き、永遠に眠ることになった1万人を超す人たちに対し、震える手で追悼の言葉を書きました。

「被災地からの感動的話は次々と世界を驚かせた。瓦礫の中から、母親の冷たい遺体が発見され、その下に守られて泣いている赤ちゃんがいた。放射能汚染範囲内の家を離れようとせず、奥さんが生き残って帰ってくるのを待つ老人がいた。津波が襲ってくる中、見ず知らずの女性と子どもを救うため犠牲になった男性がいた。」

廃墟から立ち上がる日本 - ảnh 1

ドキュメンタリーは、大震災を受けても残った世界遺産・中尊寺を映し出していました。900年近い歴史を持つお寺が放つ光は、被災地の被災者たちに希望を与えたに違いません。岩手県陸前高田市では、津波に襲われても奇跡的に残った一本の松が、希望の星となっています。

大震災は、多くのものを奪ってきましたが、人々の心までは奪えなかったです。1億2千万人の日本人の心は一つとなり、復興に向かって立ち上がろうとしています。世界は復興に協力し、各国からはボランティアとして数万の人たちが来日し、片付け作業や被災者家族の支援を行いました。そこには、国境や言語、イデオロギーの壁はありませんでした。

大震災から数ヵ月して、在ハノイ日本大使館のへいには「東日本大震災への温かいご支援、ありがとうございます」と大きくベトナム語と日本語で書かれた看板が掲げられました。そして、大震災から1年が経ち、谷崎大使のメッセージには、次のように書かれています。

「東日本大震災は、我々日本人にとって非常につらく、困難な出来事でありましたが、同時に、我々日本がベトナムをはじめ世界といかにつよい「絆」によって結ばれているかを改めて認識する機会ともなりました。震災直後に様々な方々からお見舞いや励ましのお言葉を頂きました。大使館には、日本国民に宛てた様々な絵・写真・寄せ書き・手紙を寄せていただきました。チュオン・タン・サン国家主席やグエン・タン・ズン首相は、被災地を訪問してくださいました。そして、多くの方々が我々にとって驚くほど多額の義援金を提供してくださいました。これらを通じ、ベトナムの要人から、子供たち、年配の方々といった様々な立場の方々が、ハノイやホー・チ・ミンといった大都市だけでなく、ベトナムの津々浦々から日本人への強い連帯の気持ちを受け取りました。「困ったときの友は真の友」と言われますように、ベトナムの方々の姿勢に我々日本人は感銘を覚えるとともに、心から感謝しております。改めて篤く御礼申し上げます。

廃墟から立ち上がる日本 - ảnh 2

在ベトナム日本大使館の谷崎大使はこのように語りました。

義援金は、国内外から総額3466億円が集まり、東北の被災地に届けられ、医療・教育の復興事業や避難所・仮設住宅生活者の支援に使われているという。我がベトナムの声放送局の幹部・職員・記者など3000人も、被災者たちの励ましとなるよう、給料の1日分を寄付しました。

3月11日。私はいつまでもあの日のことを忘れません。毛利衛博士・日本科学未来館館長の次のメッセージが印象に残っています。「3月11日の大惨事は、自然の恐ろしい破壊力と地球の広く深い影響力を我々にもう一度考えさせました。日本と地球の未来は、人間の手に託されています。私たちは、我が国をより美しく再建する」

その通りだと思いました。ドキュメンタリーの最後の映像では、仙台の人々の明るい表情と東北地方の生命力が見えました。大震災後から4ヶ月後(2011年7月)、仙台で東北6県の夏祭りで大震災後の復興を祈る祭りである東北六魂祭が開催されました。

刀を置き、代わりに花を手にして、サムライのように立ち上がる日本の姿を、私は遠いベトナムから拝みます。国のため民のためにはその身を犠牲にしてでも立ち上がる不屈のサムライ精神、そのサムライの精神は、サムライの誕生から1000年以上の歴史を経た今でも、日本人一人ひとりの血の中に存在し、心の中で燃え続けていることでしょう。

 トゥ・ハー

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