ホアイ こんにちは、ホアイです。
ソン こんにちは、ソンです。ブラジルのリオデジャネイロで8月5日から21日にかけて開催された2016年のオリンピックはベトナムにとって歴史的なイベントでしたね。
ホアイ そうですね。ベトナムのホアン・スアン・ビン選手(41歳)が射撃競技の男子10mエアピストルで、ベトナム史上初のオリンピック金メダルを獲得したんですよね。
ホアン・スアン・ビン選手
ソン そうです。この金メダルのほか、50mピストルで銀メダルを獲得しました。ビン選手のこの金、銀メダル獲得とその道のりはこの数日、マスメディアによく取り上げられていて、大きな話題となっていますね。では今日のハノイ便りは今一番ホットなホアン・スアン・ビン選手のことについてお伝えします。
ホアイ はい。2016年8月7日はベトナムのスポーツにとって歴史的な日となりました。その日はホアン・スアン・ビン選手が男子10mエアピストルでベトナム史上初の金メダルをてにしたほか、202.5点でオリンピック新記録を樹立しました。
ソン ビン選手は予選4位で決勝進出しました。決勝では8人の中、6人が脱落し、ブラジルのフェリペ・アルメイダ・ウー選手との一騎打ちとなりました。ウー選手は19発目の時点でビン選手を0.2点上回り、先手の20発目で10.9満点中10.1点を獲得、金メダル確実と思われました。
ホアイ 次に控えていたビン選手に対しては、ブラジルのファンたちからあらゆる罵詈雑言が浴びせられました。絶体絶命の状況の中、引き金を引いたビン選手の点数は10.7点で、0.4の僅差でウー選手を逆転、劇的な勝利を手にしました。この日、オリンピックの表彰式で初めてベトナムの国歌が流れました。
ソン ビン選手は決勝戦後、「生涯の思い出になる。ベトナムにとって初めての金メダルになるなんて、決して忘れない」と感激を表わにしました。
ホアイ 金メダルを決めた最後の一発を放つ前に、かなり長く間合いを取ったビンさんは、「金か銀かは考えなかった。ブラジルへの応援が激しかったけど、ただ撃つことだけを考えた」とコメントしました。
ソン また、その3日後、つまり8月10日に、男子50mピストルで銀メダルを獲得しました。2012年のロンドン五輪の男子50mピストルでは4位と惜しくもメダルを逃していました。
10mエアピストルの決勝戦でのビン選手
ホアイ こうしたビン選手は、前回の失敗に倒れることなく、自分自身で反省して今回の大成功を収めました。ビン選手の話を聞いてみましょう。
(テープ)
「競技で困難になればなるほど、さらに強くになるべきだと常に考えているんです。今回の競技は私にとって最も大きな意義があるものです。競技の勝利は決勝戦の厳しさを乗り越える力によるものですが、その力は、過去の競技でも毎日の訓練でも鍛えられたんです。オリンピックの場でベトナム国旗が最高の地位に掲げられたことを見て感動しました。」
ホアイ こうしたビン選手は、射撃との出会いは運命だったといいます。1974年にハノイ郊外のソンタイ町で生まれた彼は、3歳の時に母親を病気で亡くしました。子供の頃から工兵だった父親に憧れていたビン選手は1991年にベトナム人民軍に入隊し、工兵士官養成学校に入学しました。卒業後、第239工兵旅団に配属され、ここで射撃と出会いました。ビン選手が士官として射撃の練習をする時、彼の腕が良いことを知った上官が、射撃競技チームに入るよう誘ったんです。
ソン 1998年の全国射撃大会で優秀な成績を収めて人民軍の射撃選手に選ばれ、2001年に射撃のナショナルチームに入りました。しかし、彼は、2004年(30歳)になるまでは、射撃がライフワークになるとは思っていませんでした。
ホアイ 30歳でプロを目指すのは遅すぎると思われましたが、ビン選手は若さの代わりに、射撃に全力を注ぐということによって毎日のように自分の腕を一歩一歩磨きました。
ソン ビン選手は毎日400発ほど、射撃訓練をしています。射撃訓練は、すべてのことを忘れてて引き金を引く瞬間に全力集中することです。毎日、400回ぐらい、そのように集中するのは健康によくないし長生きできないかもしれませんが、彼はそれでもいいと思っています。一番気掛かりなのは、訓練や試合で家を空ける日が多く、家族に寂しい思いをさせていることです。
ホアイ 3歳の時に母を亡くしたビン選手は親の愛情が足りない子供がどんなにつらいかよくわかっていますが、練習と試合のため、「仕方ない」と言いました。
ソン 彼と家族の辛さの見返りに、ビン選手は東南アジア競技大会やアジア競技大会、国際射撃連盟ワールドカップなどで多くのメダルを獲得しました。特に、今回のオリンピックで、金銀2個のメダルを獲得し、ベトナムのスポーツ界に新たな歴史を刻みましたね。
ホアイ そうですね。41歳で、そして、視力2.5の近視であるビン選手がこうした素晴らしい成績を収めたのは軍隊で鍛え抜かれた腕力と強い心臓が支えになっていると言えるでしょうね。ベトナムオリンピック委員会のホアン・ヴィン・ザン副委員長は次のように語っています。
(テープ)
「ビン選手の」オリンピック金メダルはベトナムスポーツの宝物です。この宝物は代々の選手たちとスポーツ関係者の夢なんです。その金メダルはベトナムの人々を興奮させ、世界におけるベトナムのスポーツの威信を高めるものです。」
ホアイ ビン選手の成績はロイター通信やBBC、CNNなど国際メディアにも大きく取り上げられました。日本の時事通信や毎日新聞も、ビン選手が金メダルを手にしたことについてニュースを掲載しています。
ソン 国内メディアも大きく報道しているので、「ホアン・スアン・ビン効果」があって射撃に興味を持つ若者が増えるだろうとの予測がありますね。
ホアイ プロの射撃選手になるのはとても大変なことですが、オリンピックなどで優勝するのはもっともっと難しいです。でも、その価値があります。国の規定により、オリンピック金メダルを獲得する選手は国家予算から1億6千万ベトナムドン(日本円で約80万円)の賞金を受けることになりますが、各組織、企業、個人がこれまでビン選手に賞金を与えると公約しているのは100億ベトナムドン(日本円で約5千万円)にのぼっていますね。
ソン その賞金でビン選手の家族は少し楽な生活になるといいですね。
では、おしまいに一曲お送りしましょう。
(曲)
「~」をお送りしました。
今日のハノイ便りは、リオデジャネイロのオリンピックでベトナム史上初の金メダルを獲得した射撃のホアン・スアン・ビン選手についてお伝えしました。それでは、今日はこのへんで。