山崎 こんにちは、山崎千佳子です。
ソン こんにちは、ソンです。今年はベトナムのスポーツ界にとって歴史的な年となりました。
山崎 オリンピックでの金メダルですか?
ソン そうなんです。リオデジャネイロオリンピックとパラリンピックの両方で、ベトナム人選手が初めて金メダルを獲得したんです。
山崎 オリンピックの射撃でベトナム選手が金メダルを取ったのは知っていましたけど、パラリンピックでもですか?
ソン はい。射撃競技の男子10mエアピストルで初のオリンピック金メダルを獲得したホアン・スアン・ビン選手については、先月21日のハノイ便りでご紹介しましたが、今日のハノイ便りはパラリンピックで金メダルを取ったレ・ヴァン・コン選手についてお伝えします。
金メダルを獲得したコン選手(真ん中)(写真:ロイター)
山崎 まず、リオパラリンピックについて、少しご説明しましょう。今月7日から18日まで開催されて、160の国と地域からおよそ4400人の選手が出場しました。22競技528種目が行われました。
ソン ベトナムからは、これまでで最も多い11人の選手が出場しました。水泳、パワーリフティング、陸上競技の3つの競技で世界と闘いました。
山崎 金メダルを取ったレ・ヴァン・コン選手の種目は何だったんですか?
ソン パワーリフティングです。ベトナム選手団の出陣式で、コン選手は「我々は祖国の名誉のためにも全力で競技に臨むことを誓います」と決意表明したんです。
山崎 そして、見事に金メダルを取ったんですね。
ソン はい。大会2日目の今月8日に、パワーリフティングの49キロ級でベトナム史上初のパラリンピック金メダルを獲得しました。
山崎 ベトナム中が大喜びだったんじゃないですか?
ソン そうなんです。歴史的快挙に国中が沸きました。コン選手は、181キロのバーベルを上げて金メダルが確定した後に、183キロにも成功したんです。自分自身が持つ世界記録を1キロ更新して、パラリンピック新記録と世界新記録を樹立しました。
山崎 ドラマチックな展開でしたね。それは社会的にも大きな話題となりますね。
ソン そうなんです。ベトナムのマスメディアで大きく取り上げられました。パラリンピックの表彰式で、初めてベトナム国歌が流れたんです。
コン選手が183キロのバーベルをあげられた瞬間(写真:ロイター)
山崎 もうみんな感動したんじゃないですか?
ソン はい。私もテレビで、コン選手の勝利の瞬間とベトナム国歌が流れたところを見て、感動しました。
山崎 泣いちゃいました?
ソン いえ(笑)。泣かなかったですけど、感動しました。コン選手の奥さんにとっても忘れられない瞬間だったそうです。コン選手の妻、チュ・ティ・タムさんの話です。
(テープ)
「あの時、私はとても緊張していました。どきどきでした。でも、彼の性格や決意、そして、実力を知っているので、成功すると信じていました。あまりしゃべらない人ですが、とても粘り強いんです。」
ソン パラリンピック選手は、誰もが体に不自由なところがあります。コン選手もそうです。
山崎 コン選手は足が不自由なんですか?
ソン はい。1984年、ベトナム中部のハティン省で生まれたコン選手は、母親が妊娠中にデング熱にかかった影響で、両足が十分に成長しませんでした。コン選手はいつも「足は不自由だけど、手は丈夫。できるだけ家族の負担にならないようにしなければ。」と思っていたそうです。
山崎 強い人ですね。競技はいつから始めたんですか?
ソン コン選手は、19歳の時にホーチミン市へ移って、家具工場で働いたり、パソコンでの文書作成など、様々な仕事をしていました。そのホーチミン市で、障がい者向けの職業指導クラブに参加して、スポーツトレーニングクラブに入ったんです。
山崎 そこで、パワーリフティングと出会ったんですね?
ソン そうです。生まれた時からずっと、手が足の役割も果たしていたというコン選手は、めきめき頭角を現します。練習を始めてわずか1年後の2005年、全国障がい者スポーツ大会のホーチミン代表に選ばれて、パワーリフティング48キロ級で2位になったんです。
山崎 あっという間の全国2位ですね。コン選手は努力家だと思いますけど、きっと素質もあったんですね。
ソン そうかもしれないですね。そして、初の国際大会、2007年のASEANパラ競技大会では、152.5キロを上げて金メダルをとったんです。
コン選手の家族(写真:vietnamnet.vn)
山崎 国内だけでなく、周辺地域の国外でも十分通用する強さだったんですね。もうこの辺では向かうところ敵なし、ですか?
ソン はい。毎日、夢中になって練習したというコン選手は、自分の記録をどんどん更新していきます。2013年に行われた国際大会で、175キロを上げて金メダル。アジア記録を更新しています。
山崎 努力は裏切りませんからね。どんどんレベルアップしていくんですね。
ソン そうです。2014年のアジアパラ競技大会では、181.5キロのバーベルを上げて、金メダルと世界新記録の栄冠を手にしました。
山崎 そして初めに話が出ましたが、今回のパラリンピックで、また世界記録を更新したんですね。183キロですね。
ソン はい。この素晴らしい成績は、毎日練習を欠かさないコン選手の努力の賜物です。
山崎 継続は力なり。本当にそうですね。コン選手の話です。
(テープ)
「一番苦しかったのは、パワーリフティングを始めたばかりの時でした。練習のための設備や道具も不十分でしたし、とにかく“慣れ”というのがなかったので、練習はとても大変でした。そして2009年には、交通事故にあってけがをしてしまったんです。回復後も、練習はかなりつらかったです。でも、全てを乗り越えてトップに上がるという気持ちをいつも持っていました。」
山崎 やはり金メダルをとった人のコメントというのは重いですね。
ソン そうなんです。コン選手が交通事故にあった話をしていましたけど、治療のため2年間休んだそうなんです。2013年にアジア記録を更新した国際大会は、復帰後第一戦だったんですね。
山崎 それで優勝ですもんね。すばらしいです。そして、ベトナム史上初のパラリンピック金メダリスト。ベトナムのすべての人の大きな励ましとなっているんじゃないですか?
ソン そうですね。ベトナムのグエン・スアン・フック首相も、コン選手に手紙を送りました。
山崎 どんな内容ですか?
ソン はい。ちょっとご紹介します。「パラリンピックでベトナム人がトップに立ったことを大変光栄に思う。コン選手の勝利はベトナム人の努力と意思の強さを表すもので、国民に勇気を与えた。政府を代表し、コン選手をはじめとするベトナム代表団に祝辞の言葉を贈ると共に、今後の健闘を祈る。」
山崎 そして、ホーチミン市文化スポーツ局の副局長(マイ・バ・フン)もコメントしています。
(テープ)
「私はもちろん、全てのスポーツ関係者は大喜びでしたし、感動しました。この快挙はコン選手の努力の結果で、スポーツに関わる人たちの手本となるでしょう。」
山崎 コン選手には、ベトナムの公的機関や組織、企業などから、合わせておよそ5億ベトナムドン、日本円でおよそ230万円の賞金が出ることになっているということです。
ソン 5億ドンは一般のベトナム人にとって、かなりの金額ですが、体が不自由な人にとっては更に助かるものになると思います。6歳と2歳の子ども2人を持つコン選手一家、4人家族は、余裕のある生活を送ることができるようになるのではないでしょうか。
山崎 競技を続けるために、それだけ今まで、投資してきたはずですからね。もちろん経済的なことだけでなくて、精神的・肉体的にも一般の人以上に大変なことが多かったと思います。挑戦はこれからも続くと思いますが、コン選手、まずは、おつかれさまでした。では、おしまいに一曲お送りしましょう。
(曲)
「~」をお送りしました。
今日のハノイ便りは、ベトナム史上初のパラリンピック金メダルを獲得したレ・ヴァン・コン選手についてお伝えしました。それでは、今日はこのへんで。