(VOVWORLD) - 西北部ディエンビエン省ディエンビエン市にあるディエンビエンフー勝利博物館を訪れると、70年前の偉大な勝利に貢献した数多くの重要で特別な展示品を見学し、理解することができます。その一つが、伝説とも言える自転車です。
1954年3月13日から5月7日まで、ディエンビエンフーの小さな町で、世界史に残るフランス植民地軍とベトナム人民軍の激しい戦いが展開されました。これが「ディエンビエンフー作戦」と呼ばれる戦いで、ベトナム軍の勝利によりフランスはベトナムから撤退を余儀なくされました。
この作戦は国際的にも極めて重要な意味合いを持ち、人類史に残る偉業となりました。なぜなら旧植民地国の軍隊が、ヨーロッパの強国の最新鋭で近代的な軍隊に初めて勝利を収めたからです。従来は武力ではなく、政治・外交的取り組みしか選択肢がありませんでした。ディエンビエンフーの勝利は、世界中の民族解放運動、特に植民地支配下の国々に大きな励みとなり、植民地解放の決定的な転機となったのです。
ディエンビエンフーはハノイから西北に約450km離れた山間部に位置するため、兵站を確保することがこの作戦の勝敗を左右する決定的な要因でした。最新鋭の装備を持つフランス軍は空路で兵站を確保した一方、ベトナム軍は粗末な装備しかなく、約2万台の自転車を動員し、北部から800km離れた中部各省からも食料や物資を運びました。自転車はこの作戦の主要な輸送手段となりました。
自転車は「戦場の輸送の王様」と称えられました。機動力に優れ、軽量でコンパクトなため、丘陵地や川も移動しながら、重い物資やガソリン・石油も輸送できました。燃料不要で修理も容易、迷彩も簡単で、あらゆる気象条件下で走行可能でした。
狭く曲がりくねった小道でも、自転車輸送は高い効率を発揮しました。第292大隊の元隊員タイ・フー・ホアン氏は次のように語っています。
(テープ)
「仲間たちを本当に敬服していました。積荷は両側に満載され、前部にも荷物がありとても重かったのです。下り坂では1、2人が後ろから引っ張り、坂の下まで来たら引き返して自転車を押しました。夜で見えませんでしたが、皆は力強く進みました。汗びっしょりでしたが、彼らは本当にたくましかったのです」
当初は自転車1台で80~100kgしか運べませんでしたが、民間人労働者の工夫により徐々に積載量は150kg、そして200kgまで向上しました。これにより、人力輸送に比べ何倍も輸送能力が高くなったのです。
そのおかげでディエンビエンフー作戦中、ベトナム軍は食料、食品、薬品など必需品の供給が絶えることはありませんでした。元民間人労働者のチャン・クォイさんは当時を次のように振り返っています。
(テープ)
「全地方から人々が集まり、輸送を手伝ってくれて祭りのようでした。船やトラック、馬車の輸送もありましたが、自転車が主力でした。私たちは『早く物資を届け、戦場に十分な食料を確保し、力強く戦って勝利を収めよう』との精神で進んでいきました」
ディエンビエンフー作戦中、敵の爆撃と砲火の下を自転車、荷車、馬、いかだなどで何百kmも山越え峠越えし、武器、食料、薬品を前線に運びました。
そうした苦難と危険の中で、世界でも類を見ない「自転車の達人」が現れました。フート省出身のマ・ヴァン・タンさんは1回で3.5トン、タインホア省のカオ・ヴァン・ティさんは3.2トンの記録を樹立しました。
単なる人力と簡素な輸送手段でしたが、民間人労働者は機動輸送部隊とともに、2万5千トン以上の武器や食料をディエンビエンフーに送り届けたのです。
19世紀にベトナムに侵攻したフランス植民地主義者が、西洋文明の象徴として自転車を持ち込みました。しかし、約100年のベトナム支配を終える際、自転車がディエンビエンフー作戦の輸送手段として活用され、それが敗因となることは夢にも思っていなかったでしょう。ベトナム軍事歴史研究所の元室長ブー・タン・ボン大佐は次のように語りました。
(テープ)
「自転車は、ベトナム人の精神と意志の象徴です。自転車が最新鋭のフランス軍に勝利をもたらしたと言えるでしょう」
多くの国の書籍や資料が、ディエンビエンフー作戦の際、自転車を戦争史上の奇跡の一つと称えています。
「すべてを前線に、すべてを勝利のために」との標語の下、民間人労働者は自転車を用い、あらゆる困難と苦労を乗り越え、大量の武器や食料をディエンビエンフー作戦に輸送しました。それが70年前の偉大な勝利に貢献したのです。