ドイモイ期の建築家・故グェン・バン・リン共産党書記長
故グェン・バン・リン書記長(左)とザップ将軍(資料写真)
現在、ベトナム全国各地では、ベトナム共産党の故グェン・バン・リン書記長生誕100周年を記念する諸活動が行なわれています。故グェン・バン・リン書記長はホーチミン主席の優れた教え子であり、ベトナムにおけるドイモイ(刷新)事業に先駆けていた人となっています。故グェン・バン・リン書記長の生涯は国の革命歴史と緊密に結び付いています。1980年代中頃、ベトナム経済は危機に瀕し、自由かつ市場ベースの経済が作られ、分別ある選択肢が多くの政治家に与えられました。こうした背景の中で、リン書記長はホーチミン市の実践的経験を国のドイモイ事業の建造に断固として適用していました。ホーチミン国家政治学院・党歴史研究院のグェン・チョン・フック元院長は次のように明らかにしました。
(テープ)
「リン書記長は党の指導者としての思考で、政治局のメンバーらと討論し、ドイモイ路線を見出すことにしました。リン書記長をドイモイ事業の建築家であると呼ぶ事が出来るでしょう。」
リン書記長によりますと、真のドイモイは革命事業であり、様々な矛盾を持っている過程であることから、一貫性を求めています。リン書記長は新しい管理方法と生産方法を見つけたことにより、当時の官僚的集中、行政的集中による管理体制の緩和に役立ちました。この正しいドイモイ路線を立証する一例を挙げます。それは、ベトナム共産党の第6回党大会が開催された3年後の1989年に、食糧不足国だったベトナムは初めてコメを輸出するようになりました。この成果により、国民の間で党のドイモイ事業、及び社会主義に対する信頼が高まるようになりました。国家政治行政学院・経済管理科のダオ・スアン・サム元科長は次のように明らかにしています。
(テープ)
「当時、国家管理の下にある市場経済、国内市場と世界市場を結び付けるという第6回党大会の思想が貫徹されていました。それは、自由な価格にし、配給切符制度を完全に撤廃しました。これは、ドイモイ事業の最も基本的な転換点でした。」
生前、リン書記長は創造性でありかつ断固たる指導者として活躍していました。書記長は、社会主義の志向を堅持しながら、自由競争のドイモイ政策を実現していました。
ホーチミン主席と党の指導者研究院のファム・ゴック・アイン院長は次のように語っています。
(テープ)
「グェン・バン・リン書記長の一生は、一つの見解、一つの方法を終始一貫していました。それは、絶え間なく模索しながら、創意工夫を凝らすということです。彼は革命活動に参加し始めてから、異なる職に就いていても、実際の状況に沿って行動した人です」
リン書記長は、常に国民の生活に配慮し、国民と密接につながり、国民の思考を深く理解し、国民の願望を把握する指導者でした。リン書記長はこの世の中にいませんが、現在もなお全てのベトナム国民の心の中に、敬愛なる指導者として存在しています。