フランスの最高司令官ド・カストリを逮捕した人

 フランスの最高司令官ド・カストリを逮捕した人 - ảnh 1
ビンさん

ずっと前から、北部バクニン省テイカウ駅の裏手にある小さな家はディエンビエンフー作戦の勝利を理解したい人にとって馴染みの場所となっています。それは、1954年5月7日午後にディエンビエンフー作戦で敵の司令部の奥へ侵入し、フランスの最高司令官クリスチャン・ド・カストリとその指揮メンバーを逮捕した5人の一人であるホアン・ダン・ビン大佐の家だからです。今年80歳になったビン大佐は、まだ健在ですが、残りの4人はこの世を去りました。

ビン大佐の話によりますと、フランス植民地時代の1952年9月に、17歳のビンさんは第312師団に加盟しました。ビンさんは隊員と共にディエンビエンフー作戦へ参加した思い出が忘れないようです。大砲台を分解して人の手と力で山の斜面にある陣地まで運ぶことは大変でしたが、指揮官の命令を受けた後、皆は、陣地から大砲を運び出しました。このことについて、ビンさんは「それはザップ将軍の正しい決定でした。そうでなければ、今、私は存在しなかったでしょう。」と語りまた。

 また、ビンさんは「陣地の奥まで大砲を持ち込んで、高いところに設置したお陰で、砲兵たちは目標物を正確に射撃することができた」と明らかにし、次のように語りました。

(テープ)

「高い場所に設置したので、私たちの全ての大砲は正確に射撃できしました。数発撃つごとに、砲を中に持ち込み、そして、また持ち出します。跡は残しません。次は、見せ掛けの砲兵陣地を行った事です。それぞれの偽陣地には二人だけの工兵が配置されましたが、本当の大砲のように射撃させました。敵は主に偽の陣地側へ射撃しました。」

このように語ったビンさんは「60年前の忘れられないのは、他の同志たちと共に5月7日午後にディエンビエンフー拠点の中心に進んだ思い出だった」と明らかにしました。ビンさんによりますと、4台の戦車が手前の小高い丘の周りを走っているのを見ながら、どうすればその奥に進めるか考えている時に、一人の敵をみつけ逮捕しました。その丘はフランスの最高司令官ド・カストリのいる地下トンネルだと供述しました。その後、ビンさんたちは防衛砲で一台の戦車を射撃し、他の師団が別の戦車を射撃しましたが、残りの2台は直ちに逃げてしまいました。そして、地下トンネルの門の近づくと、中で、話声が聞こえました。私たちは中にいる敵を生け捕りにするために、防衛砲をトンネルの門の外側だけに投げつけました。防衛砲が爆発した後、石や土、煙などがトンネル口に落ちてきました。その後、トンネルから出た一人のフランス人の士官が白い布を振りながら、『ベトミンの士官、ようこそトンネルへ。我々は降参する。』と言いました。ビンさんは次のように語りました。

(テープ)

「私たちが、トンネルの中に入ると、たじたじとなっている20人ぐらいのフランス人士官が見えました。机の下にもぐっている人も居ました。師団長のタ・コク・ルアットさんは『皆、手を挙げて投降しよう』とフランス語で叫んでいたが、ド・カストリ将軍だけは黙って座ったままでした。それを見た私は、トムソン銃を彼の腹に押しつけ『ホレマン』と大きな声で叫びました。そうすると、ド・カストリ将軍はたじたじとしながら、両手を挙げて『射たないで。僕らは降参する』とフランス語で言いました。」

ビンさんはさらに、もう一つの忘れがたい思い出があります。、1954年5月19日に、ディエンビエンフー作戦に参戦した幹部、兵士たちと共にホーチミン主席の誕生日を祝う式典に参加し、作戦の結果を報告した事もあると明らかにしました。その翌日に、ソ連の映画監督カルメンさんの映画制作団の要求により、ビンさんはタイグェン省にある林の中で、ド・カストリ将軍と再び対面する機会があったのです。この話について、ビンさんは次のように思い出しました。

(テープ)

「ド・カストリ将軍と再び出会った時、彼は『あなたのような勇敢な兵士を指揮できることを栄誉に思う』と言いました。その言葉を聞いた、私はとても怒って『どうして、私を指揮できるか?私はトンネルに入って貴方を逮捕したんだ。』と答えました。彼の顔は青ざめて頭を垂れ、無言でした。」

あれから60年たちましたが、多くの人々はド・カストリ将軍を逮捕したビンさんと他の勇敢な兵士に対し讃える言葉を贈りました。しかし、ビンさんは「祖国の独立自由の為に、犠牲になった人々は、私たちが敵の拠点まで行き、勝利を勝ち取るために力を与えてくれた。」と控え目な態度を示しました。

ご感想

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9/29(月)宿泊するホテルに来ていただき、ビンさんから直接お話を聞くことができ感激しました。当時を知るご健在な最後の一人と聞きました。体調が心配されましたが、当日は80才とはとても思えない声の張と色つやの良いお顔で20才当時の戦闘現場のお話しをして頂きました。日本人相手にお話をされたことがほとんどないと聞いてびっくりしました。ベトナム戦争と言えば、対米戦争とのことを言うからそうなっていて忘れ去られようとしているのかなと思いました。抗仏戦争:ディエンビエンフーの戦いも忘れてはならないベトナムの歴史だと思います。

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