目の不自由なクック・ハイ・バンさんの快挙

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クック・ハイ・バン(KhucHaiVan)さん

普通の人であっても情報工学を上手にあやつることは簡単なことではありません。それが目の不自由な人にとってはさらに大変なことでしょう。しかし、ある視覚障害者はこの大変なことが出来るようになったのです。その人の名はクック・ハイ・バン(KhucHaiVan)さんです。

1982年生まれのバンさんは世の中を自分の目で見ることが出来ませんでした。幼いころから杖や聴覚、嗅覚に依存しながら生活してきました。しかし、彼は不満に思いませんでした。バンさんは次のように語りました。

(テープ)

「私は自分自身に不満を感じることはありません。自身を愛することで原動力になっています。いつも、自信を持って取り組まなければなりません。」

バンさんは同年齢の友人と同じように、学校に通いました。さらに、大学に進学するという夢を持ったこともありました。行政学院への入学試験の勉強中に、点字プリンターが壊れてしまいました。知り合いの案内で、コンピューターを使えるようになりました。しかし、大学入学試験は不合格でした。それ以来、バンさんには情報工学に夢中になりました。彼にコンピューターの使用方法を教えたファム・ソン・ハーさんは次のように語りました。

(テープ)

「私は2002年にバンさんに出会いました。その時、彼にコンピューターの使い方を教えてくれと頼まれました。バンさんがコンピューターを上手く操作できるようになってから、私たちは情報工学センターを設立することにしました。」

2005年に、バンさんとハーさんは、「明かり」の意味のティア・サン情報工学センターを正式に設立しました。二人は、これまでに、数多くの視覚障害者に情報工学の使用方法を助けてきました。

バンさんについてハーさんは次のように明らかにしました。

(テープ)

「バンさんは熱心で活発な人です。人との接し方や情報提供ができる人です。情報工学に詳しい視覚障害者の中でもかなり優れた人ですよ。」

バンさんは、視覚障害者向けの音声情報工学育成教科書の作成に参加し、情報工学センターのメンバーらとともにこの教科書をデジタル化させました。

目の見えない人に情報技術を与えることや一般の情報技術分野における努力と貢献により2006年、バンさんはベトナムの電子新聞Vietnamnetのイーチップ情報技術雑誌から「情報技術の騎士」という称号を与えられました。

この件について、バンさんは次のように語っています。

(テープ)

「この称号を授与されたことが自分の生涯の転換点となるとは思いませんでした。実は、私の転換点は自分が有名になったことではなく、社会活動に積極的に参加し、自分の運命に満足してはいけないと決意してからです。」

バンさんの人生で真の転換点となったのは、ベトナム・ロシア銀行員のグェット・アンさんとの出会いかもしれません。二人は、ある慈善活動に参加した際に知り合いやがって恋人同士になり結婚しました。

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目が不自由でクック・ハイ・バンさんは数多くの視覚障害者に信頼と楽観的な「明かり」を与えています。グェット・アンさんとの愛の同伴はバンさんの生活に自信をつけることでしょう。

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