盲人のギターリスト、バン・ブオンさん

盲人のギターリスト、バン・ブオンさん - ảnh 1
盲人のギターリスト バン・ブオンさん(写真:the thao van hoa 新聞)


1942年生まれのギターリスト バン・ブオンさんは、ハノイからおよそ60キロ離れた隣のハイズオン(Hai Duong)省の出身ですが、彼の一生は首都ハノイに対する思いやりを持っているようです。

生まれつき目の不自由なバン・ブオンさんは幼い頃から、音楽に夢中になり、ギターを独習しました。それだけでなく彼は、点字で楽譜を書くことができます。

15歳になると、作曲をするようになりました。16歳のとき、ブオンさんは首都ハノイに転居して以来、多くの作曲家に出会い、音楽理論について教わりました。18歳の時、バン・ブオンさんは多くの観客の前の初舞台で「チョン・コム」を演奏しました。そして、ベトナムの声放送局はバン・ブオンさんが演奏した幾つかのギター曲を収録しています。それから、バン・ブオンさんのギターの音色は幅広く各地に響くようになりました。

バン・ブオンさんは「私は、時々、自分が独奏した曲を繰り返して聞きながら、戦争中に始めてハノイで生活した記憶を思い出す」と明らかにし、次ぎのように語りました。

(テープ)

「1973年ごろ、夜になると、私はハノイ市内の多くの道をよく歩きました。当時のハノイの夜道は往来が少なく、静かで涼しかったので、色々な感情が湧いてきました。」

バン・ブオンさんは著名な作曲家グェン・ディン・ティの作品「ハノイの人」をギター用にアレンジしました。このことについて、バン・ブオンさんは次のように明らかにしました。

(テープ)

「1968年1月11日に、ハノイ中心地のディン・テェン・ホアン通りを歩いている時でした。グェン・ディン・ティ作曲家の歌曲『ハノイの人』が町の拡声器から聴こえてきて、とても感動しました。その時、美しいハノイの町を見たくなりました。そこで、私は、この歌曲をギター用にアレンジすることにしました。」

バン・ブオンさんはハノイ市内の色々なところを回って歩きました。そして、足を運んだ場所を想像しながら、ハノイを巡る有名な曲を作曲しました。

(テープ)

「私は、よくホアンキエム湖の湖畔に散策に行きます。涼しい風が吹き込み、枯葉が湖にさらさらと舞い落ちる。そして、広い空間は私に色々な感情を与えてくれました。旧市街や、フェ通りを歩くと、賑やかな光景を実感できました。それらの生きた感情を込めて、ハノイをテーマにした多くの曲を作ったのです。」

これまでに、盲人のギターリスト バン・ブオンさんはハノイに因んだギター曲や歌曲など、合わせて100曲あまりを創作した他、8000回にわたって演奏を行ないました。2012年に、バン・ブオンさんはハノイに愛情を持つ芸術家に贈られる『ブイ・スアン・ファイ賞』を授賞しました。

(テープ)

「ある日、私は、『ブイ・スアン・ファイ賞』が授与されるという知らせをベトナム通信社からもらいました。その時、私はとても驚きました。というのは、自分自身は何も大したことをしていないのにそんな賞をもらえるかと信じられませんでした。ハノイに抱く自分の感情を表現しただけです。」

ハノイに愛情を持ち続けるこの盲人のギターリストについて、『ブイ・スアン・ファイ賞』選考評議会委員のファン・フィ・レ教授は次のように評価しています。

(テープ)

「『ブイ・スアン・ファイ賞』がギターリスト バン・ブオンさんに授与されたことは偶然な発見です。バン・ブオンさんを推薦すると、選考評議会全員は一斉に賛成しました。この方は、盲人ですが、40年間にわたり、ハノイで暮らし、ハノイをテーマにした多くの歌曲を創作し、それにハノイ市民のために演奏してきました。バン・ブオンさんは顕彰されるべき対象です。」

バン・ブオンさんは「ハノイ市はいつも私の心の重要な位置にある」と述べています。そして寄しくも、バン・ブオンさんのお誕生日は「ハノイ解放記念日」の10月10日なのです。こんな偶然めったにあるものではありません。

ご感想

他の情報