離島の医者ブイ・ディン・リンさん



離島の医者ブイ・ディン・リンさん - ảnh 1
リン医者




去る12月6日にハノイで、第9回全国愛国競争大会が行われました。この大会で、参加者らは、ビントアン省フーキ島の人民軍診療センター長のブイ・ディン・リン医者の物語に耳を傾けた後、深い感銘を受けました。

医者ブイ・ディン・リンさんは北部タイビン医科大学を卒業した後、中部トアンハイ省(現在はビントアン省とニントアン省)にある病院に勤めるチャンスに恵まれました。しかし、ドイモイが始まった1986年に、彼は、本土からずいぶん離れているフーキ島のフーキ病院に自発的に赴きました。リン医者の話によりますと、当時のフーキ病院は今日の診療所のような小さな病院でした。診療治療用の設備といえば、聴診器(ちょうしんき)、体温計、耳鼻咽喉(じびいんこう)の用具など基本的な設備しかありませんでした。しかし、その頃、盲腸炎で毎年、10人あまりの命を奪ったのです。リンさんにとって条件不足の中でも、盲腸炎患者を救った記憶が現在でも残っています。それは、1987年のある夜のことです。フーキ島に住むグェン・モイさんは20日間に渡って盲腸の痛みに耐え、病院に運ばれた時、虫垂が破裂してしまいました。当時、フーキ島では重病患者があると、船舶でおよそ100キロ離れたところにあるファンテェット市内の病院まで運搬しなければなりませんでした。でも、モイさんの場合は、本土に着くまでに病状がさらに悪化し、治療できなくなる恐れがあるので、リンさんはその場で早急に盲腸の手術を行うことにしました。手術後、リンさんと同僚らは、7日間にわたって患者の面倒を見ました。元気になったモイさんは現在でもリン医師を恩人として見なしています。

(テープ)

「私は盲腸炎で入院して、リン医者のお陰で命が救われるようになりました。私と家族全員はリン医者の恩をいつまでも忘れません。」

フーキ島で働いている間、リン医者と同僚らは、島に駐屯している軍隊や住民への診療治療事業に全力を尽くしてきました。30年にわたって、家族と離れて暮らすリン医者は島の住民から「漁民のお医者さん」という愛称で呼ばれています。フーキ島の住民ファム・フォックさんは次のように評価しています。

(テープ)

「リン先生は才能と道徳を兼ね備えながらも、質素な医者です。彼は、患者に熱心で優しい先生です。私たちはリン先生を尊敬しています。だから、ビントアン省の医療局に、この島で診療治療活動の継続をしてもらえるよう申請しました。」

リン医者の指導の下で、フーキ島の病院は診療治療を良好に実現させただけでなく、疫病の予防対策を主体的に行うようになりました。その結果、この数年間、現地では、大規模な疫病は発生しておらず、小さな感染病が発生しても適宜に解決されています。国家医療目標プログラムが足並みを揃えて実施され、住民の診療治療作業は十分に実現されてきました。現在、フーキ島の病院では近代的な医療設備が整備され、科学と医療の先進技術が導入されつつあります。フーキ島の人民軍診療センター長のリン医者は次のように明らかにしています。

(テープ)

「私たちは、本土から随分離れており、条件不足の中でさえも、愛国競争運動に応えて、常に困難を乗り越えなければならないと認識しています。また、病院の指導部は『医者は優しい母のようでなければならない』というホーチミン主席の教えに従って患者に接っしています」

現在、フーキ島の病院は、50人あまりの医者、幹部、医療職員がいます。リン医者は同僚が見習うべき手本として存在し続けています。

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