VOV=ベトナムの声放送局の伝説的元アナウンサーであるチン・ティ・ゴーさんは9月30日、ホーチミン市で死去しました。87歳でした。ゴー元アナウンサーが天国に行きましたが、彼女の読み声はベトナム戦争に参戦した経験があるアメリカ帰還兵を含め、VOVの多くの世代のリスナーの心に残っているでしょう。
1931年、ハノイで生まれたチン・ティ・ゴーさん
1955年、チン・ティ・ゴーさんは友人の紹介を通じて、VOVで仕事を始めました。その時、ゴーさんは革命活動に参加するため、何をしたいと考えました。当時、VOVは英語のニュースを読める人が要りました。ゴーさんは元々英語を勉強し、映画や音楽を通じて、英語が好きでしたが、英語のアナウンサーになるのは彼女の人生にとって大きな節目となりました。VOVで、ゴーさんは英語で、リスナーにニュースや解説を分かりやすく伝えられるように練習を始めました。
ゴーさんは「英語ができることから、VOVで仕事をするのはとても便利である。しかし、専門家による指導は重要な意義を持っていた。アナウンサーとしては原稿を正しく読むだけでなく、ニュース、論評、解説など、それぞれは独特な伝え方で表現しなければならない。」と言いました。VOVの英語放送を聞いた東南アジア、北欧諸国のリスナーはチン・ティ・ゴーさん(ペンエーム:トゥ・フオン)の声が大好きでした。
1965年、アメリカはベトナム南部に数多くの兵士を派遣しました。その時、VOVは国防省所属政治総局と協力して、ベトナムに参戦しているアメリカ兵を対象に「アメリカ兵との細かい話」という放送番組を制作しました。その目的はアメリカ兵がベトナムの戦争の真相を理解してもらうということです。それ以来、ゴーさんの名前はこの番組と密接に結び付いていました。
当初、この番組は5,6分ぐらいで、週二回、夜に放送されました。しかし、その後、一日に3回、それぞれ30分間放送されました。この番組の始めての言葉は「これはトゥ・フオンがベトナム南部に参戦しているアメリカ兵との話」というものです。アメリカ兵と話す時、ゴーさんは自分の名前をトゥ・フォンと言いましたが、アメリカ兵はゴーさんを「ハノイ・ハンナ」と言いました。この名前について、ゴーさんは「私たちの放送がハノイからお送りしていたことから、この名前で呼ぶと覚えやすいかもしれない」と説明しました。
「アメリカ兵との細かい話」という放送番組をよく聴取したアメリカ兵にとって、チン・ティ・ゴーさんは「嫌いでありながら、懐かしく、怖いでもあるが聴かなくてはできない」という声を所有する人でした。この番組を聴いてから、ベトナム戦争に反対して、帰国にするアメリカ兵も少なく出ていました。
ゴーさんは「私のニュースを読む時の原則は説得性がなければならないということである。親しすぎないであるが、硬いではない。その他、言葉をきちんと選ばなければならない。原稿は元々ベトナム語で執筆されましたが、私はその原稿を英語に翻訳する人々の中の一人である。戦争に関するニュースについて話した時、情報の客観性を増やすため、アメリカの新聞の言葉を引用した。アメリカ兵一人ひとりに伝えたいメッセージは『皆さんが無意味な戦争に身をささげている』ということである。」と語りました。
戦争が終結し、「アメリカ兵との細かい話」という放送番組も終わりましたが、その後、多くのアメリカの記者はベトナムに来て、ゴーさんと話をしました。また、多くのアメリカ兵はその番組の録音を保管しています。
1975年4月30日、チン・ティ・ゴーさんは英語で世界に対し、「サイゴンが解放された。ベトナムが完全に独立・統一された」というベトナムの歴史的出来事を生放送で、知らせました。南部完全解放祖国統一された後、ゴーさんは夫と共に南部に行って、ホーチミン市の声放送局に仕事をしました。ゴーさんは「英語を読むのは私の興味である。この仕事をして、自分が正しい職業を選んだことを実感した。この仕事は私に多くの楽しさをもたらした。また第二の人生があれば、依然としてVOVのアナウンサーとして仕事をするだろう」ことを打ち明けました。
ゴーさんの読み声は放送の力を作るだけでなく、世界の友人がベトナムのことを深く理解できるように貢献してきました。20年間にわたり、VOVの放送事業に貢献したゴーさんはVOVの若い世代にとって、大きな励ましと誇りになることでしょう。