ハノイ市中心地にあるベトナム軍事歴史博物館はベトナムの展示物と来館者が最も多い7箇所の博物館のひとつです。この博物館はハノイに足を運ぶ観光客にとって、魅力的な観光スポットとなっています。
ベトナム軍事歴史博物館の前身は1956年軍隊博物館として設立されましたが、2002年にベトナム軍事歴史博物館と改名されました。この博物館の総面積は3200平方メートルで、2000点が展示され、ベトナムの建国の祖フンブォン( Hung Vuong) 時代からホーチミン時代までの外国からの侵略者との闘争の歴史、ベトナムの軍事史におけるいくつかの戦略的な闘争を反映し、ベトナムの軍事政策と軍事’芸術を示しています。ベトナム軍事歴史博物館の展示物は「ベトナム英雄」( Viet Nam anh hung) という称号を持つ母親;英雄のベトナム民族;英雄のベトナム人民軍部隊;ベトナム人民軍の伝統;ベトナムの武器とその製造器具;ベトナムの独立闘争を支持した世界の友人たちとベトナム人民軍と世界各国の軍隊との関係など6つの内容に分かれて展示されます。ベトナム軍事歴史博物館のグェン・スアン・ナン( Nguyen Xuan Nang)館長は次のように語りました。
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「この博物館の敷地内にはハノイの歴史遺跡であるハノイの旗の塔がありますが、これは観光客を引き付ける要素の一つです。その他、この博物館は野外に大型の戦闘機などベトナムと敵軍の武器を展示するベトナムにおける唯一の博物館です。外国の来館者はディンビェンフー作戦やホーチミン作戦など大規模な作戦に深い関心を寄せています。現在、この博物館にはこの2つの作戦の模型が展示され、6言語で説明されていますから、来館者からの好評を得ます」
オーストラリア人のGuy Bagot氏は1968年~1970年頃、ベトナム戦争に参戦したことがありますが、今回、ベトナム軍事歴史博物館を訪れ、「当時、ベトナム人民軍の力をまったく知らなかったが、ボー・グェン・ザップ将軍のことを知って、尊敬していた」と明らかにし、次のように語りました。
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「ベトナム軍事歴史博物館を訪れ、1945年以来のベトナム戦争を理解できました。ベトナム戦争に参戦した私は戦争終結以来、一度もベトナムに戻ることがありませんでしたが、ボー・グェン・ザップ将軍が死去したことを受け、ザップ将軍に対する自らの尊敬の意を表するため、妻とともにベトナムに戻ることにしました。」
ベトナム軍事歴史博物館は展示の配置と内容の改良に常に努力しています。この10年、博物館は30部の書籍を出版した他、70回にわたり展示会を開きました。毎年、同館の研究班はおよそ600点もの新しい展示物を収集します。先ほどのグェン・スアン・ナン( Nguyen Xuan Nang)館長は次のように語りました。
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「現在、私たちはベトナムの30点の国宝のうちの2点を展示しています。これは1972年末にアメリカ軍の戦略爆撃機B52を撃ち、墜落させたベトナムの英雄飛行士ファムトァンが飛行するミグ21の戦闘機、及び、1975年4月30日、南ベトナム政権の大統領官邸の門を突き破って敷地内に突入した843号戦車です。特に、ベトナム人民軍と民兵が手をこらして作った粗末な武器は外国
人来館者の注目を集めています。」
これまでに、ベトナム軍事歴史博物館を訪れた来館者は延べ1700万人にのぼり、そのおよそ半分が外国人です。ベトナム軍事歴史博物館の展示宣伝室の幹部グェン・ティ・ラン・フォン(Nguyen Thi Lan Huong)さんは次のように語りました。
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「多くの外国人の代表団はこの博物館を訪れましたが、私に最も深い印象を与えたのは南アフリカからの代表団です。ディン・ビェン・フー作戦に関する説明に耳を傾けた後、彼らはベトナムのこの戦勝に深い印象を持っていると明らかにするとともに、この戦勝をきっかけに、南アフリカを含め、アフリカ各国の国民は国の独立を勝ち取るための闘争に立ち上がりました。」
来館者の需要に応えるため、現在、ベトナム軍事歴史博物館は国防省に対し、新しい軍事歴史博物館の建設プロジェクト案を提出しています。