37年前、首都ハノイ出身の幹部106人はベトナム中部高原地帯テイグエン地方のラムドン省での開墾に伴い、同省に派遣されました。そこは旧正月テトが来ても桃の花や霧雨などハノイのテトの特徴を示すものや風景はありませんが、彼らはハノイ人の伝統的迎春を保っています。テトの期間を高原地帯の日差しの中で迎えるこの106人は何ともいえないハノイの懐かしさが満載します。
ラムハ町
37年間ラムドン省のラムハ地方に住んでいますが、ブ・ティ・トゥ・クインさんはテトを日差しの中で迎えることに慣れず、北のテトの風情を懐かしく思います。彼女の夢は大晦日のハノイの町を眺めることです。
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「ここに来たばかりのころ、大晦日になると、ハノイの方向を見て、泣きました。最初の2~3年は何ともいえない懐かしさが沸いたのです。今もその懐かしさはありますよ。私の親戚はまだハノイに住んでいるからです。毎年の大晦日になるつ、彼らに電話してテトを祝います」
このように話したクインさんは一年中、コーヒーや、コショウの栽培に忙しいのですが、自分の子供たちに「我々がハノイ人である」ことを教えるためにテトを迎えるハノイ人の伝統、風習を保っています。
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「母親なので、自分の子供に伝統を守ることを教えなければなりませんね。毎年旧暦の12月26日から、私はおせち料理のバインチュンを煮ます。大晦日に、鶏やもち米などを祖先に供養する儀式をします。これは大昔からの伝統ですね」
クインさんの話でした。
クインさんの長男であるグエン・マィン・フン(Nguyen Manh Hung)さんはお母さんの教えに従って、毎年のテトになると、バインチュンや、春巻き、ソーセージなどの正月料理を十分に用意します。「テトにおせち料理を祖先に供養することは子供たちに家族の伝統を教育することだ」ということです。
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「木には根があり、水には源があるように、人には祖先がいますね。ですから、祖先を祀ることは素晴らしい伝統です。祖先を供養するとき、私の子供も参加します。こうしたことで、家族の伝統が保たれることを望んでいます」
フンさんの話でした。
コーヒー豆収穫
テトの期間は農民たちは畑仕事を休みますが、ラムドン省の気候は暑いので、休めません。そのため、住民たちはテトの準備をしながら、畑仕事を続けなければなりません。ハノイ市タィンチ県出身のグエン・バン・ハイさんの話をお聞きください。
「私はハノイ出身なので、伝統をやめることができません。ここではこのシーズンも耕作をしなければなりませんが、テトをハノイの風習に従って迎えることも大事なことです。テトで、暇な時、親戚と友達の見舞いを維持していますよ。皆は忙しいですが、大晦日には休みます」
このように話したハイさんは「忙しくても、テト料理を自分で作る」と明らかにし、次のように語りました。
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「この数十年間、バインチュンなどテト料理作りを維持しています。バインチュンがないと、テトの雰囲気になりませんね。特に、バインチュンを煮るとき、ハノイを思います」
ハイさんはこのように語りました。
今年82歳となったファム・バン・チョン(Pham Van Trong)さんも「祖先の伝統を尊重しなければならない」と考えています。チョンさんは次のように話しています。
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「テトには家族全員と隣りの人々、友達が集まることは大好きです。これはテトの特徴ですね。物質的には、簡単な料理でもいいですが、精神的には、これはとても重要だと思っています」
このように話したチョンさんはこの37年間で、ハノイに戻ったのは1回しかないということです。そして、ラムドンを第2の故郷と見なしているとしています。
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「この地は発展の潜在力が大きいです。ここは私の出身地のようです。今後も、この地の発展のために力を入れていきます」
チョンさんはこのように話しました。
先ほどのフンさんもチョンさんの気持ちを分かち合い、ラムハ地方を離れたくないと語りました。
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「故郷は懐かしいですが、ここは第2の故郷です。ここに住みながら、ハノイの伝統を守ることができれば、いいと思います」
フンさんはこのように話しました。