ベトナムは54民族ありますが、その中で、ブラオ(Brao)族は最小民族5つの一つです。人口はおよそ400人で、中部高原地帯テーグエン地方のセサン川やナムコン川流域に住んでいます。また、ブラオ族は独特の風俗や文化を維持しています。
かつて、ブラオ族コミュニティはベトナム・ラオス・カンボジアの国境地帯に居住していましたが、20世紀初頭、ベトナムに移住してきました。言語は南アジア系に属するモン・クメール語ですが、独自の文字を持っていません。現在、ブラオ族の人々は主にコントゥム省、ゴックホイ県、ボーイ村に住んでいます。ブラオ族は「パセイ」という神が空、地球、生物を生んだ」とか「パセイの神の足跡は川、海、山をつくってきた」と考えています。さらに、どんな物体も有形であり、山、川、樹木、海のいずれにも神が宿るとしています。そしてブラオ族は母系社会を営んでいます。テーグエン地方の少数民族研究者リュ・アイン・フンさんは次のように語りました。
(テープ)
「ブラオ族の伝統文化はテーグエン地方に居住する他の少数民族と類似点を持っています。例えば、高床式の集会所ニャーロンや農作に関する祭りなどがあります。ブラオ族の信仰生活には稲の神をはじめ、土、水、森の神が尊敬されています。つまりどんな物にも魂があるということです。ブラオ族の楽器はドラやシンバル、各種の琴などあります。ブラオ族は高齢者を尊重し、子供を愛するという美意識を保っています。」
ブラオ族の集落の構築はコミュニティ性を示しています。ニャーロンという集会所は最も立派な建築物で、村の中央に建てられ、通常、各村落に1軒あるのみです。住民の住居はその周囲に建設され、正門はニャーロンに向いています。かつて戦争時代にブラオ族の人々はベトナム・ラオス国境地帯に沿って非定住型の生活をして、耕作に従事し、様々な困難に苦しんでいました。戦後、国家の関心とコントゥム省の国境警備部隊の援助を受け、ブラオ族の人々はゴックホイ県、ボーイ村に定住し、安定した生活を送っています。ただ耕作方法が立ち遅れ、生産は自然に依存していることから、住民の生活は困難な状態にあります。こうした事情を踏まえ、国家はブラオ族の人々の生活水準の改善に投資を強化してきました。コントゥム省、ゴックホイ県、ボーイ村の幹部でボラオ族出身のタオロイさんは次のように話してくれました。 (テープ)
「2005年、ブラオ族は人口の自然減の危機にありました。これを受け、政府は具体的な援助措置を取り、ブラオ族発展計画を承認し、総経費250億ベトナムドン、約1億2千万円を出資しました。これにより、インフラ整備や生産発展、ニャーロンや住宅の建設、電気網の開発、文化社会、教育の発展が図られました。2010年までにブラオ族の人々の生活は大きな変貌を見せてきました。」
ブラオ族の生活を長期的に安定させるため、国家は住民に対し、生産への投資、品種の提供、水田稲作技術の教育、コーヒーやゴムなど、工業作物の開発を行っています。また、地方行政も住民に対する援助を精力的に進めてきました。201年現在、ブラオ族の人口は2005年の368人から417人に増加し、ボーイ村で道路がアスファルト舗装され、学校、幼稚園、ニャーロンなどが新築されました。現在、幼稚園から高校までの生徒の数は合わせて111人となり、4人は高等専門学校や大学に入学しました。彼ら若い世代はブラオ族の伝統・文化を受け継ぐ者となります。