37年前の1975年4月30日、ベトナム人民軍の390号戦車はアメリカ軍の支援を受けていたサイゴン傀儡政権の大統領官邸に突入して、勝利を獲得しました。これにより、南ベトナムは完全解放されました。当時の戦車入場の姿はベトナム歴史に輝かしい歴史のページを記すものです。今日のこの時間は当時の戦車兵の一人であったレ・バン・フォン(Le Van Phuong)さんについてご紹介いたします。
レバンフォンさんは現在、ノイ郊外・ソンタイ町の質素な家に住んでいます。彼の家の応接室には390号戦車が独立宮殿に突入する瞬間の写真が今も飾られています。レバンフォンさんは笑顔で戦争時代の思い出について語ってくれました。
20歳になった時、フォンさんは戦車の運転を勉強しまた。1970年、彼はラオスの南部に沿った国道9号線での戦場に参戦、そして、中部の古都フエ市でも侵攻した戦車を運転する兵士でした。1975年4月、ベトナム人民軍隊司令部はホーチミン作戦を行いました、この作戦は陣民軍により行われた南部のサイゴンに対する最終的な攻撃作戦でした。4月30日のサイゴン陥落により、南ベトナムは完全に解放されました。
当時、重戦車大隊4号の副隊長であったフォンさんは3人の戦車兵を指導しました。1975年4月30日午前9時に、ベトナム人民軍の309号戦車は砲煙弾の雨を乗り越えて、傀儡政権の独立宮殿に侵入を開始しました。その時の様子をレバンフォンさんは次のように語りました。
(テープ)
「わが戦車が独立宮殿の正門にぶつかった時、戦車のチェーンの音が聞こえました。左門が曲がり。右門が傾いてしまいました。当時、私たち戦車兵は目的地だと思うと、身も心も軽くなりました」
このように語ったフォンさんは4月30日・11時に43号戦車のビンクァンタン(Bui Quang Than)隊長がベトナム国旗を抱いて、独立宮殿へと走って行き、その宮殿の上に国旗を立てた瞬間を目にして、勝利の喜びを感じました。
フォンさんは次のような感想を述べています
(テープ)
「歴史的な瞬間に立ちあい、戦争が終結して、国が統一されると思い、とても感動しました。タン隊長が我々の国旗を傀儡政権に立てた後、私たち戦車兵は一斉に叫びながら勝利の祝砲をあげました。当時、サイゴン町全体はベトナム人民軍の祝砲の音に包まれました。本当に感激的な瞬間でした」
戦後、その戦車兵たちは故郷に戻り、質素な生活を送ってきています。1986年から、フォンさんは床屋で働いています。390号戦車が独立宮殿を攻撃している光景の写真を撮ったフランス人のある記者は戦後20年目に彼を見つけて、インタービューしました。その日、その記者はかつてのフォンさんを抱きしめて涙を流しながら。「戦争時代の英雄がこんなに質素な生活をしているのか」と言いました。
戦争は過ぎ去りました。かつてのベトナム人民軍の兵士たちはすでに銃を下ろし、平穏な庶民として暮らしています。