タンチャオ神社の遺跡
今から70年前の1945年8月16日に、北部トウェン・クアン省のタンチャオ神社で、各部門や各民族、政治各派、救国団体、及び国外在留ベトナム人の代表、合わせて60名の参加による国民大会が行われました。この大会は、総蜂起路線の遂行、植民地制度の撤廃に向けたベトナム民族の決意を示しました。
国民を代表して、民族の運命を定めた
タンチャオ国民大会で、当時のインドシナ共産党のチュオン・チン書記長は総蜂起と民族解放委員会、いわゆる臨時革命政府の発足に関する報告を行いました。これに基づき、インドシナ共産党の指導の下で、ベトナム国民は、日本軍の武器を奪い、政権を奪取することになります。国民大会は、総蜂起を決定し、日本軍から政権を奪取し、ベトナム民族解放委員会を発足させた他、ベトナムの国旗、国歌及び多くの主要な戦略を規定しました。
国の独立を獲得した後、ベトナム国民は、1946年1月6日に総選挙を行い、ベトナム民主共和国の初の国会を選出し、ベトナム憲法の作成に着手しました。歴史学者のレ・バン・ランさんは次のように語りました。
(テープ)
「タンチャオ国民大会はベトナム国会の前身です。これは、ホーチミン思想の結果によるものです。大会で採択された決定のお陰で、8月革命が成功した。その基礎で、ホーチミン主席はベトナム国会を選出するため、総選挙を早期に行う必要があると発表しました。そこで、タンチャオ国民大会からの4ヶ月後に、総選挙と第1期国会が行われることになりました。」
民族大団結の力の表明
タンチャオ国民大会は歴史的出来事であると見なされています。この大会は、革命事業における民族の意志と力を活かしました。また、大会は、現在の国会の諸活動にとって貴重な経験と教訓をもたらしており、それぞれの革命時期における戦略的任務を実現し、国民の国民による国民のための法治国家建設という精神を示し、国の建設防衛事業における国民の最高権力機関の役割を果たしました。グェン・シン・フン国会議長は次のように語りました。
(テープ)
「およそ70年にわたり、現在のベトナム国会は第13期となりました。ベトナム国会は、国民の最高代表機関であり、最高国家権力機関としての役割と地位を果たしており、民族解放闘争・祖国建設防衛事業に多大な貢献をしてきました。」
70年前のタンチャオ国民大会の誕生は、ベトナム革命事業における重要な転換点となりました。タンチャオ国民大会が残した価値はベトナム国会の活動によって創造的に活用され、国の建設防衛事業に寄与しています。