1975年春の大勝利に貢献したベトナム外交

(VOVWORLD) -50年前のホーチミン作戦の勝利は、軍事、政治、外交戦線の巧みな連携によるものでした。
                   
1975年春の大勝利に貢献したベトナム外交  - ảnh 11973年1月27日、フランス・パリの国際会議センターでのパリ協定調印式の様子(Văn Lượng/TTXVN撮影)

ベトナムの外交は、ベトナムを支持する世界人民の統一戦線を築き上げ、1973年のパリ協定によって戦争を終結させ、「戦いながら交渉する」という態勢を作り上げ、1975年春の歴史的勝利へと繋げました。

外交闘争は単に戦場の闘争を反映するだけでなく、戦略的に重要な戦線でした。この観点は、ベトナム民族の建国・防衛の歴史の中で形成され、ホーチミン時代にさらに発展しました。
外交 - 重要な戦略的戦線
この大きな方針を貫徹した上で、南ベトナム民族解放戦線が1960年12月に設立されて以来、南部と北部の外交活動は、「二つであるものの一つである。一つであるものの二つである」という方針を掲げたことにより、民族全体の勝利に大きく貢献しました。特に、外交は「戦いながら交渉する」という局面を切り開き、戦場での勝利の有効性を交渉の場で最大限に活用していました。
軍事、政治、外交の三つの戦線の円滑かつ緊密な連携は、1973年1月のパリ和平協定の締結をもたらし、段階的な勝利を収めて、1975年4月の最終的な勝利へと繋がりました。さらに、外交はベトナムを支持する世界人民の戦線を主導的かつ積極的に形成し、アメリカ国内においてさえも支持を獲得しました。
当時のパリ和平協定交渉に参加した主要メンバーであった元国家副主席のグエン・ティ・ビン女史は、次のように回想します。
(テープ)
「アメリカの友人たちは戦争に抗議して焼身自殺をし、世界中の何百万人もの人々が弾圧や投獄を恐れず、アメリカに対ベトナム戦争の終結を求めて行進し、デモを行いました。世界各国の友人たちの団結と支持は、激しい闘争の日々に、戦場と会議場においてベトナムを助ける力となりました」
1973年のパリ協定締結後、ベトナム外交は「外交闘争の武器を巧みに利用し、平和、独立、民族和解の旗を高く掲げ、正義を明確にし、世界の革命勢力と進歩的な人々の同情と支持を獲得することに貢献する」という任務を立派に果たしました。多くの国の指導者や政治家から一般市民に至るまでの何百万人もの人々が、デモを行い、対ベトナム戦争に抗議し、ベトナム国民の正義の闘争を支持していました。
かつてのサイゴン常駐の極東経済レビューの元記者であり、ロイター通信の協力者でもあるインド人のナヤン・チャンダ教授は、長年ベトナム戦争を研究しており、歴史的なホーチミン作戦におけるベトナムの強大な力が外交戦略のビジョンにあったと確認しました。
(テープ)
「ベトナム外交は常に軍事戦略と並行していました。ベトナムの外交官たちは世界各国からの支持を得るように、たゆまぬ努力していました。特に、世界中の若者、そしてアメリカの若者たちの支持は重要でした。ベトナムは、戦争がアメリカ国民にも被害を与えていることを示すことで、この理想的な支持を利用しました。海外におけるベトナムへの国民の支持は、多くの師団の軍隊に匹敵するものでした。アメリカ人はベトナムで戦っていましたが、同時にアメリカ政府はアメリカの街頭で自国民とも戦っていました」
今もなお貴重な歴史的教訓
1975年春の大勝利の教訓から、外交の役割は国の発展の各段階において引き続き発展し、その重要性を増しています。民族の力と時代の力を結びつけ、外交・国防・安全保障の各戦線を緊密に連携させることは、ベトナム革命のあらゆる勝利を決定づける要因となりました。ベトナムは国家の利益を堅持するという原則とともに、他国との友好関係と包括的な協力関係の構築が常にベトナム外交の不可欠な部分であることを明確に認識しています。
元ベトナム友好諸組織連合会会長のグエン・フォン・ガー大使は、次のように述べています。
(テープ)
「50年が経ちましたが、海外の友人たちは依然としてベトナムの国土と人々に対する思いやりを保ち、ベトナムの祖国建設防衛事業を支持しています」
50年を経て、現在は国が新時代の、新しい目標に向かって飛躍する新たな歴史の出発点であり、ベトナム外交にこれまでにない歴史的使命を課しています。1975年春の大勝利の外交的教訓は常に受け継がれ、発展し、洗練され、新たな状況における平和と友好のベトナム外交の流れを形作っています。

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