私はVOV東京特派員として2007年から2010年までの3年間、日本の国会議事堂において志位和夫日本共産党幹部会委員長を取材しましたが、残酷な戦争に見舞われたベトナムに共感していることに私は感動し、涙しました。ベトナムを訪問した志位和夫氏の『ベトナム友好と連帯の旅』という本をその一部をご紹介したいと思います。
○ まだ痛む戦争の傷跡
ベトナムに来て戦争遺跡を訪ねたが、(ベトナム戦争が終わって30年以上経つというのに)その戦争は最近終わったばかりのように感じた。ハノイ到着直後、カムティエン通りで、1972年12月26日深夜の米空軍B52機による空爆の犠牲者に献花し、お線香をあげた。ベトナム人の同行者によると、その空爆は一瞬にしてハノイ最大の繁華街を完全に破壊し、罪のない283人の命を奪ったという。
死んだ子どもを抱く母親の銅像を見た時は、涙が止まらなかった。ベトナムに来て、ベトナムの人たちが戦争で受けた苦痛を初めて実感した瞬間であった。
ハノイを後にし、ホー・チ・ミン市にあるトゥズ病院を訪れた。そこで、ベトナム戦争中のエージェントオレンジ・ダイオキシンの典型的な被害者であるの双子ベト・ドゥックのドゥックさんと会ったことは、心に深く残る思い出となった。彼は結婚したばかりで、幸せいっぱいの顔で私を迎えてくれた。彼から色鮮やかな花束を受け取り、思わず涙が出そうになった。ベトナム戦争の傷跡がまだ残っているのに、彼らには戦争の暗い影雰囲気はなく、将来に向けての明るい笑顔しか見えない。気丈で寛大なベトナム人の皆さんに頭が下がる。
トゥズ病院の中に、枯葉剤に感染したホアビン村の子どもたちの養育・リハビリテーションセンターがある。そこに訪ねた時、私は幼い頃の美しい思い出が蘇ったような気になり、彼らとの距離感を感じなくなった。子どもたちは、私を囲んで話しかけて、ある子は私に抱き付いて頬に温かいキスをしてきた。その時、まるで彼らの父親の気分になった。
○ 信じられないクチ
ホー・チ・ミン市から75キロ離れたクチへ行った。ベトナム戦争中にベトナム人によって作られた奇跡のクチトンネルでは、戦時下での兵士の日常生活を見ることができる。大規模な軍事戦略の下には、素朴で困難いっぱいの生活があった。クチトンネルは、「堅持すれば成功し、歴史的な勝利に繋がる」というベトナム革命の正しい道を証明した。
初春の日にクチを訪れた私は、東南部の緑が広がる道でこの革命基地の強い生命力を感じた。当時のアメリカ軍は、クチを死の地にするため枯葉剤を撒き散らしたが、クチの人々は必勝の信念と全力で立ち上がった。ゲリラの兵士たちは協力し合って全長250キロの地下道を造り、頑強に戦った。
20年にも及ぶ戦争を物語る遺跡クチを訪問したことによって、気丈で堅強で頑強なベトナム戦士の資質を十分に理解できた。
○ ベトナムの将来を信じるノン・ドゥック・マイン元書記長は、「社会主義建設事業促進のため、ベトナムはより実践的な道を探っています。ベトナム戦争で、強力なアメリカに勝てるのかという懸念もあったが、最後に我々は勝った。現在のドイモイも同じく、困難に直面しながらも誇るべき成果がある。」と話してくれた。
志位氏は、「世界最強の国に勝利したという偉大な歴史を持つベトナム、過去、その勇姿を世界に見せた皆さんは、将来、祖国の建設・発展での勇姿を見せることができるでしょう」と語りました。
私たちは外国の政治家がベトナムをこのように見ていることに感動します。ベトナムという国は一人の日本の政治家の目には本当に美しく英雄的な国です。今年はベトナム日本樹立国交40周年という記念すべき年にあたり。両国の友好協力関係がますます発展するよう願わずにはいられません。