リスナーの皆さん、こんにちは。
今日のこの時間は福岡県、岡垣町の ほかむら・ふみと さんから寄せられたエッセイをご紹介します。外村さんはリクエスト音楽やその他にたくさんお手紙をいただくので、リスナーの皆さんも聞き覚えのあるお名前かも知れません。今回のエッセイで私たちは外村さんと「ベトナムの声」との出会い、闘病中であることなどを知ることができました。そんな外村さんからの「ベトナムの声と私」です。どうぞ
「越日国交樹立40周年おめでとうございます。さて、私がベトナムという名を知ったのは幼い頃、百科事典に掲載されていた戦火に倒れたベトナム人の親子の写真と説明文でした。当時、ベトナムは戦争の最中にあり、幼いにしても胸が痛みました。
戦後間もない1980年前後、父が大きなラジオを買ってきて、短波放送というものがあって、海外から電波が入ってくることを知りました。やがてそのラジオを借りて、書店で月刊短波という雑誌を約1年購読、そして1982年頃8月31日、10040kHzでSINPO24222、23時の放送を初受信しました。内容はすっかり忘れましたが、とても嬉しかったのを覚えております。
やがて受験・入学そして発病・闘病生活に入り、ラジオはリハビリの登山とともに なぐさめとなり、再び「ベトナムの声」と出会いました。当時のスタッフでロアンさん、リーさん、マイさんのお声はカセットに録音しています。当時よりだんだんベトナムの民謡が好きになり、すっかりハマっています。
また、ベトナム紹介をはじめ、日本ではあまり流れない東南アジアのニュースや ややピリッと聞いた社説も好んで聞いております。ベリカードの変化と時々お送りくださる切手などは眠れなくなるほど嬉しいのです。
ところで近年は短波放送の中止や廃局相次ぐ中、せめてベトナム、中国、韓国、ロシアは残ってほしいと思っております。
闘病生活も30年近くなり、受信報告書はいつストップしてもおかしくない程、体調は困難ですが、今後ともよろしくお付き合いください。
最後にベトナムと日本との国交と友好が50周年、60周年、100年と続いてほしく思います。「ベトナムの声」を聞くと何だか懐かしい気持ちになるのは私だけでしょうか。
Nhac noi
いかがでしたか、皆さん。今回は福岡県、岡垣町の ほかむら・ふみと さんから寄せられたエッセイ「ベトナムの声と私」をご紹介しました。
ほかむら さんのエッセイを聴き、とても心を強く動かされました。ほかむら さんはベトナム、とりわけ私たちの放送に深い気持ちをお寄せくださいましたね。
ほかむら さんは病気と闘いながら毎日を送っていますが、悲観的にならず、前向きでこちらが励まされました。今後、ほかむら さんのご体調が良くなってゆき、病気を撃退するようお祈りします。できる限り、私たちの放送をお聞きになって、報告書を送ってくださいね。
また、リスナーの皆さんからのエッセイをお待ちしております。