当放送の協力者の発表



9月19日、開催されたベトナムの声放送局日本語放送開始50周年記念式典にて発表された池田 晃様のスピーチをご紹介します。

本日はご招待いただきありがとうございます。

ベトナムの声放送局、50周年記念をお祝いすると共に、本年は日越国交40周年の記念すべき年でもあります。ベトナムに住む日本人の一人として今後も末永くベトナムの声放送局が日本とベトナムとの架け橋になることを願っております。

私は、技術関連の仕事で2012年7月にハノイにやってまいりました。これまでに10カ国以上の国を訪れたり生活してきたりしてまいりましたが、ベトナムという地に来たのは実は今回がはじめになります。

当初想像していたベトナムという国、あるいはベトナムの人々に対する印象や驚きは、その活気、バイタリティーなどをはじめ、さまざまなものがありました。1年の時が経過しましたが、今でも日々新しい驚きがあります。

ベトナムには日本の原風景があると、年配の日本人はよく言います。

郊外のいたるところに古く、なつかしい日本の風物や景色を思い出させるものですが、私は逆に日本にあるものの多くがベトナムにその起源を発しているのだろうとも考えています。

そのような風景や風物、人情などが似ているということもあり、日本から見たベトナム、ベトナムから見た日本という印象はどちらも好意的なものであるように思います。

私たちはお互いに古い歴史のある国で、長い交流の歴史があり、今日に至っております。

しかし、その古くからの歴史的交流のことについては、一般のベトナムの人は日本人ほどは知らないのではないかと思っています。

たとえば、今から1300年前に、中国の唐の時代に遣唐使として渡った阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)という日本人がいます。

私をはじめとする多くの日本人には、なじみがある名前ですが、ベトナムの皆様はどのくらいご存知でしょうか?

阿倍仲麻呂は当時の日本の留学制度である遣唐使の一員として唐にわたって、科挙の試験に合格して唐の官僚となった日本人です。

昔の日本には、まだまだ外国から学ぶべき多くのことがあったので、仏教や律令制度、暦をつくるための数学や天文学、土木技術などを取り入れるために、今から1413年前の西暦600年に、当時の天皇が日本から留学生を中国の隋の国に送ることを決めました。

これは遣隋使といいますが、以降多くの秀才が危険な航海で命を落としてまで、先進技術を中国に学んで持ち帰ってきました。

中国の王朝はその後隋から唐に変わりましたが、日本からの留学生は第一回目から約300百年近くにわたって送り続けられました。

阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は、そのような留学生の一人として、中国にわたり、科挙の試験に合格して、当時のハノイに安南節度使(あんなんせつどし)として使わさました。

彼は結局日本に戻ることなく、異境の地で一生を終えました。

ハノイで地方長官として赴任していたときに、仲麻呂には家族があったといわれていますが、阿倍仲麻呂の子孫がいまでもハノイにすんでいるかどうかは今となってはわかりません。

ベトナムからも多くの人が歴史のなかで中国に学んだと思いますが、最近では日本に学ぼうとした東遊(トンズー)運動の話題がTV放送などでもなじみがあるのではないでしょうか。

現実に多くのベトナムの学生が今日も、日本で主に技術を学んでいると聞きます。

私はこれからも、さらにいっそう多くの学生が日本で学ぶことを願うとともに、学ぶことへの心構え・精神というものも是非日本から持ち帰ってほしいと願います。

ここでひとつ、私が考えている技術というものについて、短いお話しをしたいと思います。

日本には、日本刀という世界でも最高水準の刀を作るための、製鉄と鍛造技術が中世の時代に完成していました。それらの技術は巻物などの紙にかかれた資料で伝承、教育されたものでしょうか?いいえ、刀鍛冶の技術は師匠から弟子へと長い修練の年月をかけて、体と感によって訓練・伝承されてきた技術です。そのため今日でも日本刀を作る技術は、技として伝承はされてはおりますが、戦国時代につくられた最高傑作の日本刀の水準の刀は、今日ではもはや作ることはできなくなってしまいました。

実は近代の技術工学でさえ、奥義ともよべる技術の中核は、マニュアルの文章と文章の間に、人々の技の中に隠されているようなものが多々あるのです。つまり技術と言うものは一朝一夕で簡単に身に着くようなものでもないですし、技術の先進国や先進企業から機密情報をお金を出して買ってくれば明日から自分たちのものになるという、たやすいものでもありません。

日本は実に1000年以上の時間をかけて、海外から取り入れた技術や考え方を自分のものとして作り上げた実績を持ち、技術に携わる多くの匠(たくみ)=技術者、職人をはぐくんできました。

さらに日本語の教科書や教育システムで、たとえばノーベル賞レベルの教育や研究成果を追及することのできる国にもなりました。

これらは単に今から140年前に西欧化して、ヨーロッパから科学技術の表面をコピーして得た結果ではなく、そこに至る先人たちのバトンの受け渡しによる1000年以上の努力と修練の積み重ねの結果なのです。

ですからベトナムの人は、アメリカやヨーロッパから近代工業技術を学ぶことも大切ですが、日本からも、もっと学んでいただきたいと思うのです。特にものづくりや技術に対する心(精神)というものを学んでほしいと思います。

私は長く戦争があったベトナムの人が、10年後や50年後より、明日や1年後が大切である、という感情をもっていることは理解しておりますが、50年100年と言う未来を思い描いて、技術や考え方の本質というものを学んで、自分たちの血肉にしてほしいと願っています。

若い人々には、物事がすぐに成果がでなくてもあきらめずに、時間をかけて、あるいは世代を超えて何かを追求していくことの大切さというものも、忘れないでほしいと思っています。

ベトナムの声放送局には、日々のニュースや文化だけにとどまらず、そのような未来に対する夢や、世界の国のひとつとしての未来の責任や精神と言うものも、ぜひ伝えていただきたいと願います。

御静聴ありがとうございました。
池田晃

 


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