今日は日本の写真家中村梧郎さんの写真集「戦場の枯葉剤」をご紹介しました。
中村さんはベトナム戦争を用いられた枯葉剤の結果、シャム総合児として生まれたベトちゃんとドクちゃんを世界に報道した人として生まれたベトちゃんとドクちゃんを世界に報道した人として有名です。
アメリカ軍がベトナム戦争で初めて枯葉剤(エージェントオレンジ・ダイオキシン)を使ったのは、1961年8月10日。日本の有名な報道写真家中村五郎さんは1976~1995年の19年間ベトナム各地に足を運んで枯葉剤被害者の写真を撮り続け、ベトナム中部と南部における生活環境と人間の健康を破壊した枯葉剤に関する本を出版しました。序章には、次のような日記が書かれています。
私の第一歩は、ベトナム最南端にあるカマウの森であった。1976年6月、雨の中を小船がゆっくりカマウ森の中に入り込むと、有名な革命の根拠地で南ベトナム解放軍とサイゴン軍の激戦地として知られる場所が目の前に現れました。その時、カマウ森では銃や爆弾の音はなく、鳥は鳴かず、葉もざわめくことがなく、雨は止んでいた。戦争終結後1年経ってもまだ立ち上がれないこの地、緊張感で全身が揺れてカメラを持てない私に、船を操舵する人から座るよう言われました。同行するベトナム人記者は「上陸しないほうがいい。この地域は枯葉剤の汚染がひどく非常に危険だ」と大きな声で言い、静寂を破りました。
写真家中村五郎さんは、その後19年間カメラを手にカマウ省の各地やホー・チ・ミン市、タイニン、ビエンホアに足を運び、ベトナムの枯葉剤被害者やその家族を訪ねて話を聞きました。「ホー・チ・ミンルートで枯葉剤に感染した父と母、そして生後10ヶ月の赤ちゃん」(1981年)や「戦争の跡地でエビ養殖」(1995年)など、本に載せた写真は、枯葉剤被害者の痛みを強く訴えながら、被害者の次の世代における明るい未来に向けての生命力を表現しています。
2007年以降、中村五郎さんはアメリカで何回も写真展を開き、ベトナムの枯葉剤被害者に関する本について講演を行いました。アメリカの政府と国民がベトナム戦争の実態を直視し、被害者に対して負わなければならない責任を誠実に検討することを彼は希望しました。