K9・ホーチミン主席にかかわる特別な遺跡

(VOVWORLD) -ハノイ郊外バービー県ダーチョン地区に位置する歴史遺跡K9はホーチミン主席にかかわる特別な遺跡です。今日のこの時間はこの歴史遺跡についてお伝えします。
K9・ホーチミン主席にかかわる特別な遺跡 - ảnh 1      (写真: zingnews.vn)

ダーチョン地区はハノイの中心地から約70キロ離れた所にあります。ここには3本の槍の先端の形をとった石があることから、石でできた槍という意味のダーチョン( Da Chong)と呼ばれています。標高150メートルのこの地区はバービー山の原生林の中にあり、美しい自然風景と涼しい気候に恵まれています。

1957年5月、ホーチミン主席はダー川沿いに位置するこの地区で演習を行っていた人民軍の第36中団を訪れた際、この地区で休憩をとり、昼ご飯を食べました。この地区の美しい風景が気に入ったホーチミン主席はアメリカ軍が北部に爆弾を投下した場合に備えて、ここで、党中央委員会の事務所を建設する意向を幹部らに伝えました。

そして、1959年に入り、アメリカ軍がまもなく北部に爆弾を投下することを予測して、国防省はこのダーチョン地区で党中央委員会の拠点を建設しました。1960年3月15日、ハノイにあるホーチミン主席の高床式の家と同じ建築様式を持つ高床式の家屋の建設が完了しました。この家屋の周りには地下トンネルがあります。それ以来、ここがK9根拠地と呼ばれるようになっています。K9遺跡のガイドリュ・テイ・トゥイ・ガさんは次のように語りました。

(テープ)

「当時、ホーチミン主席は自ら会議室の設計図を見て、意見を寄せました。当初、家の玄関の扉は開閉式の戸でしたが、ホーチミン主席は引き戸にするよう勧めました。そうすると回廊が広くなるような感じになるからです。」

K9・ホーチミン主席にかかわる特別な遺跡 - ảnh 2       (写真: zingnews.vn)

1960年から1969年までの9年間、ホーチミン主席と共産党政治局、党中央委員会は幾度もここに来て、会議を開きました。そして、ホーチミン主席は中国や旧ソ連の指導者と会見を行いました。

1969年9月2日、ホーチミン主席は亡くなりましたが、ホーチミン主席の遺体はここで保管されました。そして、1969年から1975年まで、多くの代表団はここに来て、ホーチミン主席を弔問しました。1975年7月18日、ホーチミン主席の遺体はハノイ市内のバーディン広場に建設されたホーチミン廟に運ばれました。それ以来、ダーチョン遺跡はホーチミン廟の仮の安置拠点となってきました。

1995年以降、K9遺跡が公開され、全国の代表団がここに来て、ホーチミン主席に線香を手向けることができるようになりました。2015年9月2日、K9遺跡にあるホーチミン主席の記念会館の建設が完了しました。この記念会館はホーチミン主席の道徳や思想の維持、宣伝に大きな意義がある施設です。先ほどのK9遺跡のガイドリュ・テイ・トゥイ・ガさんはさらに次のように語りました。

(テープ)

「記念館では、ホーチミン主席を奉る祭壇が会館の中央に置かれています。両側にはホーチミン主席をたたえる対句がかけられています。祭壇には銅製のホーチミン主席の像が安置されています。後ろには国旗とホーチミン主席の言葉がかけられています」

K9遺跡が日増しに立派に改修、建設されています。毎年、国内の多くの人々がここにやってきて、ホーチミン主席をお参りすると共に、政治、文化、芸術活動に参加しています。ハノイ国家大学の学生レ・コク・バオさんは次のように語りました。

(テープ)

「若者である私はここに来て、国に対するホーチミン主席の功労を理解できるようになりました。さらに国に貢献するため、今後も、生活と学習にさらに取り組みます。」

K9遺跡を見学することはホーチミン主席に対する感服と感謝の気持ちを表すものと言えます。ホーチミン主席の人生と革命事業を理解するため、チャンスがありましたら、ぜひ一度ここに足を運んでください。

 以上、ホーチミン主席にかかわる特別な遺跡K9についてお伝えしました。では、今日のこの時間はこのへんで失礼します。


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