ハノイ便りの時間がやってまいりました。
ホアイ ご機嫌いかがですか皆さん。ホアイです。
アン こんにちは。アンです。先ごろ、ベトナムの封建時代の最後の王朝であるグェン王朝の行政文書がユネスコのアジア太平洋地域の記憶遺産として認定されましたね。
ホアイ そうですね。では、今日のこの時間はこれらの行政文書についてご紹介しましょうか?アンさん。
アン はい。そうしましょう。グェン王朝の行政文書とは1802年から1945年にかけて存在した一般にいう「ラストエンペラー」グェン王朝の王様の行政文書です。
ホアイ これらはグェン王朝の歴代の王により朱印で承認されたもので、政治、軍事、外交、経済、社会、文化などの分野における問題を解決するためのものです。
アン グェン王朝時代に発行された行政文書およそ20万枚が今も保存されています。これはグェン王朝時代の政策、行政機関の構造などを理解するため貴重な資料です。
ホアイ 国立保存センター1号館のハ・バン・フェ( Ha Van Hue) センター長は次のように語っています。
(テープ)
「グェン王朝時代の行政文書は多く保存され、外交政策内政を表しています。これらの文書を通じて、歴史学者はグェン王朝のあらゆる分野における情勢を理解できます。この文書が世界記憶遺産として認定されたことにより、この文書の価値が国内だけでなく、地域と世界にも広がっています」
ホアイ フェセンター長の話でした。では、この辺でちょっとティタイムにしましょう。
「 」 をお送りしました。
話を続けましょう。グェン王朝時代の行政文書は公文書としての独特な価値があります。これらの文書の言葉遣いは慎重で、封建時代の最高の秘密があります。
アン 医療分野に関して、これらの文書はグェン王朝に発生した病気が詳細に明記されました。例えば、明命21年(1840年)の行政文書によりますと、同年1月から6月まで、中部タインホア省で疫病が流行し、1087人が死亡しました。
ホアイ 一方、同年6月19日に発行された行政文書によりますと、中部トァティンフェ省で疫病が発生し、5人家族全員が死亡した場合もあった」いうとことが分かります。
アン 経済分野に関して、これらの行政文書はベトナムと近隣諸国との交易関係を示しています。しかし、当時、農業は依然として主な経済部門でした。国立保存センター1号館の漢字とベトナム独自の文字チュノームの収集・整理室のグエン・トゥ・ホアイ室長は次のように語りました。
(テープ)
「ベトナムは農業国ですから、グェン王朝の王様はいずれも農業に特別な関心を寄せています。毎年、各地方は気候とコメ価格に関する報告書を朝廷に送りました。ですから、グェン王朝時代に、洪水がよく発生したため、凶作の影響で飢餓状態に陥った住民がいました。そのため、朝廷は困難に直面する住民を適宜に支援できるように、各地方に毎月、報告書を送るよう求めました。」
アン ホアイ室長の話でした。グェン王朝の行政文書にはベトナムの海と島の領有権を示すものがたくさんあります。多くの文書は「当時、グェン王朝がホアンサ群島とチュオンサ群島を管理しており、ここにはグェン王朝の行政管理システムが設置された」ということが明記されています。多くの文書は「グェン王朝の王様がホアンサ群島とチュオンサ群島に作業グループを派遣し、現地の視察と地図作成を行った」内容を示しました。
ホアイ これらの文書はホアンサ群島とチュオンサ群島に対するベトナムの領有権を確認する非常に重要な資料です。先ほどの国立保存センター1号館のハ・バン・フェ( Ha Van Hue) センター長はさらに次のように語っています。
(テープ)
「グェン王朝の行政文書の内容はとても豊富です。その中に、ホアンサ群島とチュオンサ群島に対するベトナムの領有権を確認する文書もたくさんあります。これらの文書は歴史、文化、社会の研究分野に価値があるだけでなく、海と島の領有権を争う戦いにおける重要な資料です」
ホアイ フェセンター長の話でした。ベトナム封建時代の最後の王朝であるグェン王朝は自らの王朝の歴史を編纂し、木版で印刷しました。その中で、行政文書はこの史書を作成した際、主な資料として使用されてきましたね。
アン そうですね。これにより、グエン王朝の行政文書の価値がユネスコの専門家により高く評価され、世界記憶遺産として認定されたわけですね。
ホアイ そうですね。では、おしまいに歌をお聴き頂き、今日のハノイ便りを終わりにしましょう。
「歌」をお送りしました。
リスナーのみなさん。今日のこの時間はグェン王朝時代の行政文書についてご紹介しました。それでは、今日のハノイ便りの時間はここで終わります。来週のこの時間に又お会いしましょう。ごきげんよう。
Chao cac ban。