山崎 こんにちは、山崎千佳子です。
ソン こんにちは、ソンです。山崎さん、チャン・ニャン・トン王は知ってますか?
山崎 聞いたことありますね。道路の名前でありますよね。
ソン そうです。あれは王様の名前なのは知ってました?
山崎 知りませんでした。ベトナムの道路名は、ベトナムの英雄などから取ったものが多いんですよね。チャン・ニャン・トンはいつの王様ですか?
ソン はい。現在のベトナム北部を1225年から1400年まで支配したチャン王朝の第三代皇帝です。
山崎 だから名字がチャンなんですね。
ソン そうです。旧暦の11月1日、今年だと新暦の11月29日が、このチャン・ニャン・トン王の命日なんです。今日のハノイ便りは、チャン・ニャン・トン王についてお伝えします。
イェントゥー山にあるチャン・ニャン・トン王像
山崎 この王様はどんなことをした人なんでしょう?
ソン 13世紀に、2回にわたって元、モンゴル軍の侵攻を破ったことで有名です。
山崎 チャン・フン・ダオを軍の司令官にした王様ですね。人材活用に優れた人ですね。
ソン 王様というだけではないんですよ。ベトナム仏教にチュックラム禅宗というのがあるんですが、それを開いた人なんです。
山崎 宗教家でもあるんですね。
ソン はい。まず、その生涯を簡単に説明します。1258年に生まれたチャン・ニャン・トン王は、1278年、はたちの時にチャン王朝の第三代皇帝となりました。国が元軍による侵略の危機にあった中での即位でした。先ほど山崎さんも言いましたが、ベトナム軍は司令官、チャン・フン・ダオの活躍もあって、1285年と1288年の2回にわたってこの侵攻を破りました。そして、1308年に50歳でこの世を去っています。
山崎 日本にも元寇と言って、鎌倉時代にモンゴル軍が2回攻めてきました。2回とも、日本軍の勝利でした。
ソン その後、3回目の日本侵攻をモンゴル軍は考えていたということですが、それを打ち砕いたのがベトナムなんです。
山崎 ええ?どういうことですか?
ソン 3回目の日本への侵略前に、ベトナム軍が元の水軍をたたきのめして、元の多くの船や水兵がなくなったんです。1288年に起きたベトナム北部クアンニン省にあるバックダン川の戦いです。それで兵力を失った元は、3度目の日本出兵をあきらめたということです。
バックダン川の戦いを再現する絵
山崎 知りませんでした。いろいろなところで、昔から日本とベトナムは関係があったんですね。歴史研究者(ファム・カック・ホアン)の話です。
(テープ)
「チャン・ニャン・トン王は、世界で最も強い侵略軍を破ったという、民族の輝かしい歴史を作り出しました。当時、モンゴル帝国は、アジアからヨーロッパまでの広い範囲を征服していました。ベトナム軍の勝利は、東南アジア地域への元朝の拡大をストップさせました。言い換えると、ベトナムは、元の侵略危機から東南アジアを救ったんです。」
山崎 チャン・ニャン・トン王は、寛容の精神を持った王様だったそうですね。
ソン はい。民族の団結を政策に掲げて、人民の力を徹底的に発揮させました。また、科挙を通じて才能ある人を採用しました。
山崎 封建制度の王朝時代でありながら、民意を反映させたといいますね。
ソン そうなんです。経済の発展やモンゴル軍の侵攻に対する戦略など、国の重大な課題に人民の意見を聞くため、ビンタン会議とジェンホン会議を開きました。この2つはベトナムの歴史書に記録されています。
山崎 2つの会議は具体的にどんなものだったんですか?
ソン ビンタン会議では、領主階級や官吏、役人たちと、それぞれの領土を通過しようとする元軍への対策を話し合いました。ジェンホン会議は、各地の長老たちを集めて、敵を攻撃する方法を話し合ったものでした。
山崎 優れた王様だったチャン・ニャン・トン王ですが、退位した後は、仏教の道へ進むんですね。
ソン そうなんですが、また別の一面もあるんです。13世紀のベトナムの優れた詩人、著名な文化人としても知られています。独特の作風を持った詩人なんです。哲学論、人生観、世界観、愛国心、仁愛の心、自由の精神など、王の持つあらゆる要素が表れた作品を残しています。
山崎 何でもできた人なんですね。政治と芸術は対極にあるような気がしますけど。そして、宗教家でもあるという。
ソン はい。1293年、チャン・ニャン・トン王は、自ら退位を決めて、息子に譲位しました。その後、仏教の研究と説法を始めました。
山崎 出家したんですか?
ソン はい。1298年、現在のベトナム東北部のクアンニン省にあるイェントゥーという山に入って、出家しました。修行を積んだのち、仏教の新しい宗派のチュックラム禅宗を開きました。
イェントゥー山の頂上
山崎 王宮からお寺へ、なかなかないことですね。フエ師範大学歴史学部教授(レー・クン)の話です。
(テープ)
「チャン・ニャン・トン王は、王位継承者になる前に、自分の弟にその座を譲ろうと思っていました。若い頃にも、仏教に憧れて、その道に進みたいと思っていたんです。しかし、父親である第二代皇帝は反対しました。チャン・ニャン・トンこそが、国の重大な問題を解決できる人物であると考え、継承者にしたのです。」
山崎 お父さんの考えは正しかったですね。チャン・ニャン・トン王は退位した後、いきなり仏門に入ったわけではなくて、若い時から考えていたんですね。
ソン そうですね。やっと希望通りになったわけですね。
山崎 それまで、ベトナムではどんな宗教があったんですか?
ソン 中国から来た仏教です。いろいろな宗派や解釈があったんですが、チャン・ニャン・トン王が始めたチュックラム禅宗によって、ベトナム仏教は初めて統一されました。
山崎 さすがですね。元王様ということもあるかもしれませんが、それだけ人々が納得するものだったんですね。ベトナム仏教協会副会長(ティック・タイン・クィエト)の話です。
(テープ)
「チャン・ニャン・トン王は仏教のすべての宗派を一つに、ベトナム民族のすべての人々の心を一つにするという考えで、チュックラム禅宗を作りました。“心”を基本としています。それによって、全国民の力を集めて、みんなで困難を切り抜けるというものです。各宗派から成る現在のベトナム仏教においても、チュックラム禅宗は、最大宗派の一つであり続けています。ベトナム人の考えや信仰に大きな影響を与えています。」
山崎 現在、ベトナム全土には、チュックラム禅宗の寺院がおよそ20箇所あるそうです。
ソン その中で、700年前にチャン・ニャン・トン王が出家して修行をしたイェントゥーの山にあるイェントゥー寺院群は一番大きくて、ベトナム仏教徒にとって最も重要な聖地となっています。
山崎 ベトナムではやはり仏教を信仰する人が一番多いんですよね。
ソン はい。人口の7割から8割ぐらいを占めています。仏教徒は誰もが、一度イェントゥー寺院群を訪れたいと思っていると思います。
山崎 ソンさんは行ったことありますか?
ソン あります。海抜1068メートルのイェントゥーの山頂に登りました。今は頂上まで行けるケーブルカーがあるんですが、自分の足で歩いて山を登りながら、聖地の雰囲気を感じたいという人が多いです。
山崎 きっとエネルギーとかパワーをもらえる感じですよね。では、おしまいに一曲お送りしましょう。「~」です。
(曲)
「~」をお送りしました。今日のハノイ便りは、ベトナム・チャン王朝の第三代皇帝で、ベトナム仏教のチュックラム禅宗を開いたチャン・ニャン・トン王についてお伝えしました。それでは、今日はこのへんで。