(VOVWORLD) - パクボ集落のすべての家族は先祖の祭壇のそばにホーチミン主席の祭壇を置いています。村人はホーチミン主席の教えに従って団結し合って村の発展に全力を尽くしています。
フランス植民地主義者の支配下にある国の独立を取り戻す道を探るために30年間海外に暮らしてきたホーチミン主席はベトナム革命を直接指導するために、1941年1月28日に中国雲南省から国境を超えて密かにベトナムに帰国しました。中国と国境を接するカオバン省ハクアン県チュオンハ村に属するパクボ(Pac Bo)集落はホーチミン主席が帰国後に滞在し、ベトナム国内での革命闘争の準備を行った場所です。80年以上経ちましたが、ホーチミン主席の姿は地元の人々の心に印象深く残っています。
パクボ集落 |
ハノイから北へ330キロメートル離れたところにあるパクボは2012年に、国の特別歴史遺跡として認定されました。少数民族テイ族とヌン族の言語で、パクポとは源という意味です。ホーチミン主席がここに滞在したのは約14か月間で、最初はパクボ集落の民家2軒に一時的に泊まっていましたが、その後、安全確保のため、パクボ集落の近くにあるコクボという洞窟に1か月以上隠れ住みました。そして、1941年3月から1942年3月までの1年間、コクボ洞窟から約1キロ離れたところにあるクオイナムという谷川のそばに立てられた小屋に住んでいました。
現在、この民家2軒の跡が残っており、これらの跡と、コクボ洞窟、そして、かつての小屋を再現した建物はパクボ遺跡の重要な要素となっています。また、この遺跡にはホーチミンさんがレーニン渓流と名付けた渓流があるほか、近くの山をカール・マルクス山(Karl Marx Mountain)と名付た山もあります。そして、ここにはホーチミン主席を祀る神社があるほか、ホーチミン主席にちなんだ展示会館も建設されました。ここを訪れると、観光客はホーチミン主席が仕事をしていた石の机や就寝に使った木造のベッド、魚釣りをした場所なども見学でき、パクボに滞在中のホーチミン主席の生活を偲ぶことができるでしょう。
パクボに滞在中のホーチミン主席の生活と革命活動は今もなお、地元の人々によく語られています。ホアン・ティ・キンさんは当時、ホーチミン主席に食事を作って提供した人です。キンさんは2021年3月に逝去し、102歳でした。生前、ホーチミン主席について触れるならば、年をとっても、エネルギーあふれる声でかつての話を語りました。
キンさんによりますと、当時村人はホーチミン主席をテイ族の言葉で「おじいちゃん」という意味を持つ「オンケ(Ong Ke)」と呼びました。オンケは、子どもを入浴させたり、村人に読み書きや農産物の植え方を教えたりしたなど村人全員に関心を払いました。また、オンケの話しにより、村人の多くは革命活動に参加しました。そのため、革命運動はパクボからハクアン県全体に広がり、わずか数か月の間に「救国農民の会」「救国青年の会」「救国少年の会」など多くの革命組織が設立されました。これらの組織は、ベトナム革命の土台の一つとなったとしています。キンさんの生前の話です。
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「私はホーチミン主席に食事を作って提供したことを最大の誇りと思っています。当時、パクボの村人だけではなく、周辺の数百人が参加しました。「救国農民の会」とか「救国女性の会」など多くの組織がありましたよ。そして、民兵に参加した人も多かった。私たちは、ホーチミン主席はもちろん、民兵にも食事を作って提供しました」
ホーチミン主席の祭壇に線香を手向けているズオン・チ・クアンさん |
パクボ集落に暮らす75歳のズオン・チ・クアンさんは、自分のおじいさんがホーチミン主席の当時の活動を直接手伝っていたことを誇りにしています。当時村人はクアンさんのおじいさんの家に集まってホーチミン主席の話を聞いたのです。クアンさんの話です。
(テープ)
「おじいさんとお父さんの話によりますと、ホーチミン主席は身分を隠すために、夜だけ私のおじいさんの家に来て革命のことを話してくれました。村人はその人を尊敬して「オンケ」と親しげに呼びました。国が独立した後に、ホーチミン主席が村を訪れたとき、村人は「オンケ」はホーチミン主席だということがわかりました。1969年にホーチミン主席が逝去したというニュースを聞いて、村人は全員、泣いて、家族が亡くなったように悲嘆と喪失感に打ちひしがれました。その後、お正月になると、村人は先祖にするように、ホーチミン主席にも線香を手向ける習慣があります」
一方、クアン・チ・キエンさんは、1961年にホーチミン主席がパクボを訪れたときのことをはっきり覚えています。
(テープ)
「パクボの村人は、ホーチミン主席が訪れてくださることを聞いてとても喜びました。その日、地味な衣服を着たホーチミン主席は、テイ族の言葉で村人一人一人と挨拶を交わした後、村の高齢者と親しげに話し合いました」
現在、パクボ遺跡は国内外の観光客を引き付ける有名な観光スポットとなっています。これにより、地元の住民の生活は大きく変わりました。しかし、変わらないのはホーチミン主席に対する住民の想いです。ズオン・ティ・ビック・ホップさんは次のように語りました。
(テープ)
「パクボ集落のすべての家族は先祖の祭壇のそばにホーチミン主席の祭壇を置いています。村人はホーチミン主席の教えに従って団結し合って村の発展に全力を尽くしています」
ホーチミン主席がパクボに滞在してから81年以上経ちましたが、当時の「オンケ」に関する物語は村人に語られており、地元の輝かしい歴史となっています。