ホアイ ご機嫌いかがですか皆さん。ホアイです。
アン こんにちは。アンです。ホアイさん、4日、ベトナム人民軍の初代の大将であるボー・グェン・ザップ将軍が103歳で亡くなりました。満年齢では102歳でした。
ホアイ そうですね。今日のこの時間は仁愛あふれた気持ちのボー・グェン・ザップ将軍についてお話しましょうか?アンさん。
アン はい。そうしましょう。ザップ将軍は1911年8月25日にクアンビン(Quang Binh)省レトゥイ(Le Thuy)県ロクトゥイ(Loc Thuy)村で生まれました。ザップ将軍はベトナム共産党政治局員、中央軍事委員会書記、副首相、国防大臣、ベトナム人民軍最高司令官、第1期から第7期までの国会議員を歴任しましたが、元々、歴史の教師で、軍事に関する訓練コースを一度も参加していませんでしたね。
ホアイ そうですね。アメリカの従軍記者であったスタンリー・カーノウ(Stanley Karnow)さんは1959年からベトナム戦場に赴き、ベトナム戦争を見続けました。カーノウ氏は「ベトナム・一つの歴史」という750ページの大著を執筆し、その中で、「ザップ将軍は世界の偉大な軍事指揮者の一人として看做されている。しかし、世界の他の軍事指揮者と違うところはザップ将軍の才能は軍事教育で得たものではなく、生まれつきの天才である」と評しました。
アン 外国人のジャーナリストだれもがザップ将軍を尊敬し、感服しています。フランスのジャーナリストであり、映画制作者でもあるダニエル・ルーセル氏(Daniel Roussel)は10回にわたり、ザップ将軍と話をしています。
ホアイ ダニエル・ルーセル氏は「ディン・ビェン・フー作戦・トラと象との戦い」というドキュメンタリー映画を制作し、その中で、ディン・ビェン・フー作戦におけるザップ将軍の重要な役割を描きました。ダニエル・ルーセル氏の話です。
(テープ)
「私は35年前にザップ将軍と初めて出会いました。運よく、ベトナム人民軍の指揮官、政治家として活躍するザップ将軍の他、ザップ将軍の日常生活も自分の目で見ました。私はザップ将軍が日常生活において何が好みも理解できます。」
ホアイ ダニエル・ルーセル氏の話でした。1954年のディン・ビェン・フー作戦の勝利により、ザップ将軍は20世紀の最も優れた軍事戦術家として知られるようになりました。この作戦に関して、歴史学者はこの作戦の総司令官を務めていた際に、ザップ将軍が出した決定について触れました。これは作戦の戦術を迅速な戦いから長期戦にシフトするという決定です。ダニエル・ルーセル氏の話です。
(テープ)
「ザップ将軍は「この決定を下す夜は、最も過ごし難い夜であった」と語りました。1954年1月25日、ベトナム人民軍はフランス軍の要衝を攻撃する用意を整えていましたが、何か不安に感じたザップ将軍は軍の撤退を命じました。当時、ザップ将軍は攻撃が1週間以内に行うならば、多くの兵士の命が奪われたと思い、この作戦を長期的に実施することにしました。ディン・ビェン・フー作戦が長引きましたが、結局、ベトナム人民軍は勝利を収めました」
ホアイ ダニエル・ルーセル氏の話でした。では、この辺でちょっとティタイムにして音楽をお聴きいただきましょう。
「デインビェンの解放」( Giai phong Dien Bien) をお送りしました。
話を続けましょう。ザップ将軍は人民軍の兵士のことを親族のように深い愛着を持っています。ザップ将軍は幾度も戦争で人民軍兵士や一般市民の命が奪われた前で泣きました。
アン ベトナム人民軍の故チャン・バン・チャ( Tran Van Tra) 大将は「ザップ将軍は部下の将軍に対し、「優秀な指揮者であるならば、敵軍を打ち破ったとしても、兵士の犠牲を最小限にしなければならない。人の命は何よりも貴重なものであるから」と言った」と話しました。
ホアイ 一方、国防省対外局のブ・スアン・ビン( Vu Xuan Vinh)元局長は「私は2004年、ザップ将軍と世界歴戦者連盟のボクガップ会長との会見を目撃した。戦争は数十年前に終結したが、ザップ将軍を平和への自分の願いを繰り返し述べた」と明かにし、次のように語りました。
(テープ)
「ザップ将軍は世界歴戦者連盟の会長に「世界の青年に対し、団結して、平和を維持するよう呼びかけてください。今日の青年たちの出会いの場は戦場ではなく、大学や競技場などでなければならない」と言いました。そして、同会長は「ザップ将軍に「平和の将軍」称号を与えることに値するだろう」と言いました」
ホアイ ビン元局長の話でした。戦争を嫌い、平和を好むザップ将軍は自分の次女の名を平和という意味の「ホアビン」に付けました。
アン ザップ将軍の次女であるビンさんはお父さんの仁愛の心を実感していました。ビンさんの話です。
(テープ)
「1994年と2004年に、父と共にディン・ビェン・フー作戦の昔の戦場を訪れました。昔の陣地を訪れた際、父は昔、この地に犠牲になった兵士のことを思い出し、泣き出しました」
アン ビンさんの話でした。生前、故郷へ帰る時、ザップ将軍はいつもベトナムのエスニック料理とされているゆでたくうしんさいとベトナムの小ナスの漬物(Ca phao・カーファオ)を食べ、そして、故郷の民謡を聴きたかったそうですね。
ホアイ 故ザップ将軍とご家族の願いにより、将軍が生まれた故郷クアンビン省で埋葬されました。これから、ザップ将軍は安らかに故郷の土地で永眠することになりますね。
アン そうですね。では、おしまいに歌をお聴き頂き、今日のハノイ便りを終わりにしましょう。「国」( Dat nuoc) をお送りしました。
リスナーのみなさん。今日のこの時間は仁愛の心を持つボーグェンザップ将軍についてご紹介しました。それでは、今日のハノイ便りの時間はここで終わります。来週のこの時間に又お会いしましょう。ごきげんよう。
Chao cac ban。