(VOVWORLD) -2007年からこの20年間近く、ハノイ郊外にあるチュオンミー県、ドンソン村のフォンラン寺で、「特別な」子供たちを対象とした無料の教室が開設されてきました。これにより、知的障害や身体障がいなどを抱えた地元の多くの子どもたちが読み書きができるようになりました。
その特別な教室が「愛情の教室」と呼ばれています。この教室がドンソン小学校の教師、レ・ティ・ホア先生(50歳)によって設立され、教鞭をとってきました。
(現場の音)
「すべての本とすべてのペンをここに置きましたか?
はい
携帯電話を持参し、雨が降ったら、私が出迎えるので電話ください。私がパック牛乳を置いておきますから、昼間、飲んでくださいね。」
晴れでも雨でも問わず、毎週土曜と日曜の朝に、ハノイ市チュオンミー県フーギア村に住むホアン・バン・トゥさんは、早く起きて、フォンラン寺にある教室に行くために、教科書やノート、ペンなどを準備します。脳腫瘍のせいで、17 歳の青年はまだ 5 歳の子どものようです。トゥさんの母親であるチンさんは次のように語りました。
(テープ)
「家で誰とも遊んでいません。隣の友達が遊びに来るとケンカになったり、一人で遊んでばかりいました。そのため、私はホア先生の特別な教室に連れていきました。ホア先生が私の子どもを教えてくれ、先生の世話や案内を受けられて本当にうれしいです。彼女は二人目の母親のようなものです。この教室に通ってから、友達と仲良くして、自立できるようになりました。教室から一人で帰宅できるようにもなりました」
現場の音
ホアさんは、結婚してチュオンミ県ドンソン小学校に働き始めた1997年に、トゥさんのような知的障害のある子どもたちを教えはじめました。当時、村には学校に通えない知的障害子どもたちがたくさんいることを知っていた彼女は、よく自分の家に子どもたちを呼んで遊んでいました。わずか10平方メートルのキッチンは、彼女と恵まれない子供たちが歌の練習をしたり、縄跳びをしたり、学校に行く夢を描いたりする場所となりました。彼女は、キッチンの床に走り書きされた木炭の文字を見せて、子供たちに文字を理解してもらうことにしました。
この教室を開いた時、生徒の数は約 9 ~ 14 人だけでした。しかし、その後、生徒の数が徐々に増え、10平方メートルのキッチンは教師や生徒にとって狭すぎるようになりました、ホアさんはフォンラン寺に行き、僧侶たちに教室を開いてくれるように頼みました。承認を得て、彼女は地元の行政府に対し、教室を開く許可を申請しました。 これにより、2007 年以来、フォンラン寺で、毎週末にこの特別な教室が定期的に開催されるようになりました。
総面積80平方メートルのこの教室は2つの部分に分けられました。半分は知的障害が軽い生徒で、数学を教える場所で、残りの半分はより重度の障害を持つ生徒たちに文字の読み書きを教える場所です。ホアさんの話です。
(テープ)
「私たちは自分が運よく健全で賢い子どもたちが生まれてきましたが、多くの家族は知的障がい児を持っていることから、これらの家族の苦しみと不運をできる限り分かち合えるように、毎週末を費やして、彼らに愛を分かち合いたいのです」
現場の音
現在、障がいのある子供たちのための無料教室で教鞭をとるのはホアさんだけでなく、ほかの 7 人の補助教師が加わりました。その中の一人、ファム・ティ・ヒエウさんは次のように語りました。
(テープ)
「初めてこの教室に来たとき、先輩の先生たちに感服しました。生徒たちはそれぞれ違う障がいを持っていて、あまりにも可哀想で、涙が流れてしまいました。自分の子は運よく元気ですが、他の人は子どもが障がいを持っているのだと考え、頑張りました」
60 人以上の生徒がぞれぞれ不運を背負っていますが、ホア先生の愛に満ちた授業に喜びと共感を見つけました。
(テープ)
「私はチャン・フォン・タオと申します。今年9歳です。ホア先生が私に様々な良いことを教えてくれるので、大好きです。ホア先生はよく私たちに贈り物をし、良いこと、人々を助ける方法、悪いことをしてはいけないと教えてくれます」
*もうすぐ20歳になります。ここに来るのはとてもいいことです。先生たちを敬愛しています。
*私の名前はカン・ティ・クエです。今年で29歳です。私は17年間にわたり、勉強しました。ここで人間としての生き方、強く生きることを学びました。先生たちは私たちをとても愛してくれています」
一方、ホアさんは次のように語りました。
(テープ)
「私は今、誰よりも裕福だと感じています。それは生徒の愛情と成長ゆえなのです。それは、多くの人が手にすることのできないものです」
レ・ティ・ホアさんと同僚たちが子どもたちへの愛と忍耐により、恵まれない子供たちに希望の種を蒔くという旅に毎日懸命に取り組んでいます。
現場の音