(VOVWORLD) -ホーチミン主席の考えでは、平和は人類の利益であり、世界の平和を維持することは自国の利益を維持することを意味するとされています。
ベトナム民族の偉大な指導者ホーチミン主席は、仁愛の心をもったお手本として存在しています。生前、ホーチミン主席は、各民族の平和・友好・団結の思想を掲げていました。ホーチミン主席の考えでは、平和は人類の利益であり、世界の平和を維持することは自国の利益を維持することを意味するとされています。
(テープ)
お聴きいただいた歌曲「ホーチミンのバラード」はイギリスの音楽家ユアン・マッコールによって1954年に制作された後、平和を愛する国々で急速に広まりました。この歌は、1967年にキューバのハバナで行われた戦争反対を訴えた夜に何度も演奏されました。さらに、この曲は多くの言語で翻訳され、複数の国で歌われました。これらのことは、ホーチミン主席がまるで自由と平和のシンボルのようだと示しました。
(テープ)
「私はホーチミン主席を尊敬しています。ホーチミン主席はインド国民にとって偉大な指導者であり、親愛なる伯父さんの存在です」
「私はベトナムに留学するまえにホーチミン主席のことについて知りました。ホーチミン主席は、素朴で偉大な指導者であり、団結精神と平和愛好を讃えていました。ラオス人留学生である私たちは、ホーチミン主席を尊敬し、憧れています」
ホーチミン主席(左2人目)と訪越フランス平和運動の代表団(1955年3月15日)
(写真提供:Tư liệu/TTXVN)
|
研究者の視点では、ホーチミン主席にとって平和は第一優先であり、戦争は最終選択肢に過ぎません。その証として、1950年代に、ホーチミン主席はフランスの政界と人民、および各国の政府、政治活動家、人々に宛てた手紙を送り、その中で、ベトナムにおけるフランス植民地主義侵略者に反対するとともに平和交渉を呼びかけたということです。
善意を表明するため、ホーチミン主席は1946年にフランス訪問という招待を受け入れました。フランス訪問中に、ホーチミン主席は、フランスの新聞記者や、閣僚、将軍と相次いで接触しました。
ノルマンディー史跡地区を見学した時に、ホーチミン主席は大砲の銃身を手で覆いました。(新聞「Nhân dân」紙撮影) |
また、ノルマンディー史跡地区を見学した時に、ホーチミン主席が大砲の銃身を手で覆いました。この表現は、「平和の維持」、「戦争の抑制」の精神を示すシンボルとなりました。さらに、1946年12月13日に新聞「パリ・サイゴン」紙の記者バーナード・ドランバーの取材に対し、ホーチミン主席は、「私の同胞と私は真に平和を望んでいる。戦争は要らない。フランスの人々も戦争が起きて欲しくないことを知っている。我々はこの戦争をあらゆる手段で避けたい」と強調していました。
ホーチミン主席の研究者であるホアン・チー・バオ教授は、次のように語っています。
(テープ)
「ホーチミン主席は、常に友人と敵を区別していました。ベトナムを侵略したフランス軍と戦って、敗北させるべきです。逆に、フランスの人々、民族、文明を人類の真髄と位置づけており、重視していました」
ホーチミン主席にとって、自分の民族の独立は世界各民族の独立である、民族を解放することは人類を解放することを意味します。レー・ティ・トゥ・ハン外務次官は次のように語っています。
(テープ)
「ホーチミン思想は、実践と理論が含まれており、思想的価値のみならず、時代を超えたグローバル的な意義を持っています。これらの価値は現在も昔のまま保たれています」
生前、ホーチミン主席は50カ国あまりへ足を運び、友好関係と平和の精神を示していました。複数の国では、ホーチミンの像、記念地区が建設され、数十ものの道路、大通り、学校がホーチミンを名乗っています。ベトナムの偉大な指導者ホーチミン主席は平和と友情のシンボルとして、世界中の人々の心に永遠の記憶を残しました。