ホアンサ、チュオンサ両群島に対するベトナムの領有権
この数日間、国内外の世論は中国がベトナムの排他的経済水域と大陸棚に掘削設備を違法に設置し、ベトナムの領有権に重大な侵犯をした事に対し反発しています。中国は、1982年の国連海洋法条約を無視して、海上において武力を行使し、ベトナムを蹂躙してきました。
国際領土紛争では、実効的占有と国家権能の平穏かつ継続した実施という既成事実を基準として判定される場合が多いということです。
例えば、1950年のイギリスとフランスのマンキエ・エクレオ小島群を巡る紛争事件では、イギリスが数世紀前からこの小島群への領有権の確立、実効支配を証明できた為、国際司法裁判所から勝訴の判決を下されました。一方、太平洋のメキシコ沖に浮かぶクリッパートン島の場合、メキシコ人が1892年にこの島に上陸しましたが、連続的占有を行ないませんでした。第2次世界大戦後、フランスは島で気象台を建設し、現在までにこの島を連続して開拓してきました。その島はフランスから1万海里以上離れていますが、紛争が発生すると、国際司法裁判所からはフランスが先に領有権を確立した為、その島はフランス領であると判決されました。
ベトナムは数千ヶ所の島と群島を持つ長い海岸線に恵まれています。その中にもホアンサ、チュオンサ両群島があります。ベトナムは、17世紀にこの両群島を発見して以来、これらを占有し、両群島に対して平穏かつ継続して領有権を確立した最初の国です。さらに、1974年以来、中国がホアンサ、チュオンサ両群島を武力で占有し、不法占拠してからも、ベトナムはそれらの両群島への自らの領有権の主張を中止したことはありません。ベトナムのかつてのグェン朝時代には、水産物の水揚げを行なうために、「ホアンサ団」や「バク・ハイ団」を発足しました。それと同時に、1816年、1834年、1835年、1836年に領有権を示す石碑や標識などの設置活動が連続して行われました。これらのことは、歴史資料にも盛り込まれています。
ホ アンサ、チュオンサ両群島に対するベトナムの領有権を示す歴史的証拠は国家レベルの証拠となっています。大南寔録、大南ー統志、グェ ン時代の行政文書などの各時代にわたるベトナム国家の本格的な資料は明確に認定しており、常にホアンサ、チュオンサ両群島はベトナム領海に属していると強 調しています。これらの資料はベトナムにしかありません。
国内の資料の他に、ホアンサ群島に対するベトナムの領有権の確立は中国と西側諸国の史料でも証明されています。その一方で、中国側では、ホアンサ、チュオンサ両群島への領有権に関する中国の主張は平穏かつ実効的な占有という要求に応えていません。1909年までに、中国は西砂諸島(つまりベトナムのホアンサ群島)に対する領有権を求めました。注目すべきことは、以前から、中国の24部あまりの正史、中国歴史に関する200本あまりの文献の中にはホアンサ群島が中国のものであることを示す地図や文字はなかったということです。
国際法に従って、中国はホアンサ、チュオンサ両群島に対する領有権を求めるいかなる条件に応えないという事が分かりました。ベトナムが行ってきた事は国際法を遵守している事です。それは、交渉である一方、国際世論に共同認識をもたらし、ベトナムへの世界各国の支持を得る為、あらゆる証拠、平和的措置、なかでも国際法を行使しているということです。