先ごろ、ハノイ市はホアン・ジエウ(HoangDieu)通り18番地にあるタンロン城王宮跡地区の遺跡を歴史文化公園とする案を公表しました。
ちょうど2年前に、ハノイのタンロン城はユネスコ世界文化遺産に認定されました。タンロン城王宮跡地区の中央は世界的価値を持っています。というのは、この遺跡は人文学的にも彫刻芸術、建築芸術、建設技術、都市企画及び光景構築技術に関する独特性を示しているからです。この遺跡地区にある建築遺跡と多大な遺物はタンロン城の規模と様子及び各世代の王や王族の生活を表しています。
また、タンロン城の世界遺産公認は、文化的な歴史の長さ、政治の中心地としての期間の長さ、多様な遺物が発掘されていることの3点が公認の理由として挙げられています。グェン・タン・ズン首相がタンロン城王宮跡地区の遺跡を歴史文化公園とする案を承認したことは、この文化遺産の価値の発揮につながっています。
ベトナムのユネスコ国家委員会のファム・カオ・フォン理事長は次のように語りました。
(テープ)
「これは、ベトナムの遺産の美しさと伝統的歴史を世界の友人に紹介する極めて重要でありかつ、各世代の継承者へのベトナム歴史教育に寄与しています。」
フォン理事長はこのように語りました。
計画によりますと、歴史文化公園は面積4万5380平方メートルですが、 この内、博物館面積が1万3674平方メートル、レプリカ展示面積が3438平方メートルとなっています。
タンロン城のある地域には、7世紀に中国の統治拠点が築かれ、ベトナムが10世紀半ばに独立、まもなく初の長期の民族王朝となる李王朝が成立、1010年に今日のハノイとなるタンロンが命名され都に定められ、城のある地域に初めて王宮が建設され、その後、チャン〈陳〉朝やレ朝の時代にも、そこに王宮が建設されました。城内の地上に残る史跡の多くは19世紀に建てられたもので、比較的新しいものです。
タンロン城王宮跡地区の遺跡を歴史文化公園とすることは、公衆や観客が、遺産、考古遺跡、建築について深く理解できるだけでなく、科学者が遺跡の保存方法を見出すことの助けにもなるでしょう。
ハノイ市建築企画局のダオ・ゴク・ギェム元局長は次のように語りました。
(テープ)
「今回、首相は敷地面積の企画のみならず、遺跡の保存・発揮の方向を承認しています。特に、ハノイ市の遺跡価値の発揮を助けるとともに、経済社会発展特にハノイ市のピーアールに寄与するための目標を出しました。」
ギェム元局長はこのように語りました。
タンロン城王宮跡地区の遺跡を歴史文化公園とする案を公表した後、ハノイ市は、建築企画管理の規定、建設投資管理の計画などを立てることになります。