ニャーロン港とホーおじさん

ニャーロン港とホーおじさん - ảnh 1

ホーチミン主席が救国の道を模索して当時のサイゴン(現ホーチミン市)を流れるサイゴン川のニャーロン波止場(はとば)を出港して100年以上が経ちました。現在、ニャーロン波止場は、若者たちにホーチミン主席の愛国心と頑強な闘争精神への理解を深めるための歴史遺跡となっています。9月2日の独立68周年と、ホーチミン主席の没後(ぼつご)44周年にあたり、ニャーロン港(こう)についてご紹介します。

ニャーロン波止場はホーチミン市の4区にあります。1863年、フランスが植民地として統治していた時代、この施設はナムサオ海運会社の本部として建設されました。当時、グエン・タット・タインと名乗っていたホー主席は、国民の苦しみを目(ま)のあたりにし、祖国の独立・自由を勝取ろうとして、ここからフランス国籍のアミラル・ラトゥーシュ・トレヴィル号に乗り、出航しました。

1979年にニャーロン波止場はホーチミン主席の革命活動に関する現物を展示する施設として選ばれました。1995年、この施設は改築され、ホーチミン博物館のホーチミン分館となりました。ここには「ホーチミン主席の南部に対する思い入れと、南部住民のホーチミン主席に対する「熱い気持」と題する展示会が開催されています。同館に出展されているホーチミン主席にまつわる現物や、資料、写真はおよそ2万点となっています。この数年、同館のスタッフは「南部を想うホーチミン主席の感情と、ホーチミン主席に対する南部住民の厚情」や「ホーおじさんの救国の道」などをテーマとする物語や現物の収集に力を入れてきました。ホーチミン博物館ホーチミン分館・宣伝教育室のグエン・ティ・キム・リエン室長は次のように語りました。

(テープ)

「私だけでなくスタッフの皆は毎日、本を読んだり、資料を研究したりしなければなりません。学生や観光客など、それぞれの見学者に見合う説明をする必要があるからです。私たちは魅力的な物語や現物を通じて見学者にホーチミン主席の生涯と革命事業への理解を深めてもらいたいと思っています。」

ニャーロン港とホーおじさん - ảnh 2

ホーチミン博物館ホーチミン分館の展示品は歴史的な意味はもちろん、ホーチミン主席に対する南部住民の熱い思いと敬愛の証でもあります。ホーチミン市人文科学社会大学の2年生グエン・ミン・ティエン君は次のように話しています。

(テープ)

「ホーチミン博物館を見学して、ホーチミン主席の革命事業と執筆作品への理解が深まり勉強になりました。こうした見学を通じて私たちはホーチミン主席をお手本にして、将来に向けて力を尽くそうと思います。」

現在、同博物館を訪れる観光客は日を追って増えています。2012年、ニャーロン波止場とホーチミン博物館を訪れた国内外の観光客は35万人でしたが、今年初めからの7ヶ月でその数は25万人を超えています。先頃、同分館は470億ドン(約2億1816万円)相当の改修拡張プロジェクトを開始し、国内外の観光客によりよいサービスの提供を狙っています。ホーチミン分館のグエン・ティ・ホア・シン部長は次のように語りました。

(テープ)

「当館は2回も『ホーチミン市・100の面白いこと』のトップテンに選ばれました。観光客は年を追って増加しています。これまで、展示場は広くなかったので、多くの現物を出展することができませんでした。このほど、改修拡張工事が完成し、現代的な展示場が出来上がりました。」

100年前と現在ではニャーロン波止場は雲泥(うんでい)の差があります。旧サイゴン市はホーチミン市に改名され、ダイナミックな発展を遂げ、経済の中心地となっています。ホーチミン主席の革命事業と結び付いているニャーロン波止場とホーチミン博物館は同市の象徴であり、全国民の誇りともなっています。

ご感想

他の情報