困難を乗り越えた地雷被害者の猛烈な力


ベトナム中部クアンチ省は現在もなお、戦争中の地雷や不発弾により最も甚大な被害を受けた地方です。そして、現在も、数多くの人々が戦後の地雷・不発の被害で悩んでいます。

ドンハー市に住むグェン・バン・フォンさんは、戦後の地雷・不発弾被害者の一人です。そして今なお、戦争時の地雷にさらされていることについて振り返っています。

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「その時、僕は中学校2年生の15歳でした。学校内で庭の清掃をしている間に、地雷・不発弾の爆発に巻き込まれてしました。この事件で、4人が死亡し、僕を含む4人がケガをしました。彼らは、みんな同級生でした。」

このように語ったフォンさんはまた、「今回の事故で、適宜な処置をされなかったこと、治療薬などが不足したため、傷から感染症になってしまい、両足を切断せざるを得なかった。」と明らかにしました。フォンさんの話です。

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「私は、幼いとき将来の色々な夢を抱いていましたよ。でも、両足を失うという被害者になって、いつもガッカリしています。自殺したいと思う時もありました。」

時間が経つに連れて、傷の痛みが緩和されつつあり、フォンさんは、今、自分が不幸な存在であることを感じなくなりました。

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「1998年に、僕は結婚して、子が授かりました。また、2001年、二番目の子が産まれました。2001~2002年期にアメリカのNGO非政府組織グリーンピースが貧困世帯への支援プロジェクトを実現したお陰で、私の家族はホアビン村の家を提供され、2003年、その村に引越しました。それから10年後、三番目の女の子が産まれました。お陰さまで、子供たちは3人とも親孝行で、とても喜んでいます。現在、私は、子供の将来のために頑張っています。」

一方、ドンハ市に住むチャン・ティ・ベーさんも、フォンさんと似たような境遇です。

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「私は13歳時の1973年の戦争中に、クアンチ省からダナンに移動する途中で、敵の戦闘機が爆弾を投下したことで、両足を失いました。母と5人の兄弟が死亡しました。父は負傷したので、2年間も入院生活をしました。自分自身が被害者であり、父と一緒に大変な生活を送ってきました。」

両足を失ったベーさんは当初、身体の障害に劣等感を抱え、知らない人々との接触を避けていました。しかし、ベーさんは「Doi cat(砂のような人生)」というベトナム映画に出演の要請を受けました。ベーさんが役を演ずる人物は彼女の実際の生涯と生活が似ているので、出演することにしました。ベーさんの話です。

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「Doi cat(砂のような人生)という映画は、母親になりたいという強い憧れがあり、子供だけを欲しがる独身女性の生涯と生活について語っています。私はこの映画に出演してから、考え変わりました。劣等感がなくなり、人々と積極的に交流するようになりました。その後、私は女の子を産みました。」

ベーさんと子供はコミュニティーから支援を受けたお陰で、生活の困難を乗り越えることができました。現在、ベーさんは家での商売で生計を立てて、二人の子供と共に幸せな生活を送っています。

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「私は、毎年、鎮痛薬を使っています。両方が義足なので、移動は大変ですよ。でも、子供たちの成長と勉強のために、それらの困難を乗り越えなければならないと考えています。」

今日のクアンチ省における平穏な生活の中にも、戦後の地雷・不発弾被害者の痛みは続いています。彼らはそれらの痛みを乗り越え、社会共同体に溶け込んでいます。

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