ベトナムには54の民族が共存していますが、最も多いキン族すなわちベト(越)族は昔からホン川(紅河)デルタの集落で暮らし、稲作に従事してきました。稲作は穀物を生産するだけでなく、民族色豊かな文化、歴史をも作り出しました。では、キン族は稲作をどのように営んでいたでしょうか。
研究資料によりますと、ホン川デルタはホン川とタイ・ビン川の砂州により形成されました。この土地はベト族の最初の居住地として知られています。また、ベト族の祖先は陸で作る野稲の植物を開発した人々です。ベト族は湿度が高く川や湖、池がたくさんあり、雨が多いといったこの地域の自然条件を稲作に生かしてきました。また、米を主要な食糧として、農産物の栽培と魚をとり、自給自足の生活をしてきました。ベト族の食事は米、野菜、水産物がメインでした。発展史を見ると、キン族は稲作、灌漑用水の設備、堤防作りなどに関し、多くの経験を積んできた民族であることがわかります。ベト族は稲作に従事し、また、自然条件に依拠しながら生活することで様々な風俗や習慣を作り出してきました。その中には、祖先崇拝や雨、雷の神を祀る風習があります。更に、ホン川デルタの独特の文芸となる伝統歌劇チェオや水上人形劇などが次々と誕生し、住民の創造性を示してきました。
ベト族は常にほかの少数民族に先駆けて、自然の征服や新しい土地の開墾、稲作の発展を行ってきました。ベトナムの米倉地帯であるホン川デルタ、北中部の平野部、および南部メコン川デルタにいずれもベト族が居住し、生産を行ってきました。ベトナムでは米が主食にされていますが、およそ20年前に国家は農民に農作地を譲渡し、自主権を与えたことにより稲作は大きな好転を見せ、米の生産活動に突破口を開きました。ボ・トン・スアン教授は次のように語りました。
(テープ)
「1989年からベトナムは米の輸出を開始し、食糧不足の時期から米の輸出時期に転換しました。これは生産効率が高い新品種の開発と灌漑用水の設備に対する国家の投資強化、および適切な政策による成果でしょう。農民たちは米の生産に励み、食糧の安全確保はもちろん、米を輸出するまでになりました。」
スアン教授はこのように語りました。
この20年間、ベトナムは適切な発展政策を打ち出したことで食糧不足に喘いでいた国から世界で1~2位を争う世界米輸出大国へと成長しました。2012年、ベトナムは700万トン以上の米を輸出し、現在2位に立っています。また、この数年、新農村づくりプログラムは「大きな田んぼ」づくりや稲作への先進技術の適用などと連携させ促進されており、米の生産高と価値の向上に寄与しています。ハノイ郊外のクォク・オアイ県イエン・ノイ村に住むグエン・ティ・タムさんは次のように話しています。
(テープ)
「農作業の機械化は必要だと思います。というのは農民の労働を軽減できるからです。また、田植えや灌漑コストも抑えられるでしょう。」
タムさんはこのように話しました。
かつて、稲と米は単に人間の食糧を確保するだけでしたが、現在は価値ある製品として、農民に豊かな生活をもたらしています。順調な米の輸出を見て、農民たちは安心して稲作に力を入れています。南部アン・ザン省に住むグエン・ヒュー・ライさんは次のように語りました。
(テープ)
「以前、私たちは単独に稲作を行い、それぞれの地域は異なった品種を使いました。今は、同じ品種を使って、同じ形式で稲作を行っています。田畑に行く度に、嬉しさが溢れてきます。」
ライさんはこのように語りました。
国際社会への参入が進む現在、ベトナムの米はただの食糧であるだけでなく、ベトナムならではの文化・ホン川デルタの稲作文化を示すものとしても知られています。