「白い竜の尻尾」を意味するバク・ロン・ビ(BACHLONGVI)島は北部港湾都市ハイフォンにあり、ベトナムの国防安全保障のための重要な位置にあります。そのため、ベトナムはこの島を北部の魅力的観光スポットと漁業サービスセンターにするため、軍隊及び青年ボランティアを派遣しました。それ以来、この島は青年村と呼ばれるようになりました。
海から見るバク・ロン・ビ島
ベトナムの東部海域に位置するバク・ロン・ビ島は幅1,5キロ、総面積が2,5キロとなっています。その昔、この島は「無水」という名で呼ばれてきました。ベトナムは1992年12月9日、港湾都市ハイフォン市直轄バク・ロン・ビ島の成立を決めると共に、1993年2月26日、島に青年ボランティア62人を派遣しました。それ以来、徐々に青年村が形成されることになりました。青年ボランティアグループのブ・ティ・ガン班長はその頃のことを次ぎのように思い出しています。 「テープ」
「あの頃、この島にはまだ住民たちがいなかったので、生活をすることは様々な困難にありました。2ヶ月一度ベトナムの海軍船がこの島に寄航し、食糧や衣服などを持ってきます。私達は本当に喜んだんですが、海軍船が去った後場合、全員が泣きだしました。特に、親戚や友達からの手紙を貰い、皆で一緒に読んだ後、また泣きました」
ガン班長はこのように語りました。
バク・ロン・ビ島での青年の村
また、青年ボランティアグループのグェン・バン・ハウ副班長は次のように語りました。「テープ」
「その時、港がなかったので、港を建設する為、陸上からレンガや砂、セメントなどを沢山運ばなければなりませんでした。また、工事をしながら、戦争中の残された地雷や不発弾を除去しなければならなかったんです。生活用水もなかったので、給水システムを建設しました。」
ハウ副班長はこのように語りました。
青年たちのおかげで、島のインフラが徐々に整備され、陸から来た住民たちが日増しに増えています。野菜の庭はサボテンの木々に代りました。貯水湖も建設されました。島は新たな生き生きした暮らしがあります。バク・ロンビ県人民委員会のニン・バン・ズン委員長は次のように語りました。「テープ」
「最初、バク・ロン・ビ島では物心両面の暮らしは様々な困難にあり、文化社会施設もありませんでした。しかし、これまで、インフラが十分整備され、文化施設が建設されました。その成果の一部は青年ボランティアの貢献によるものです」ニン・バン・ズン(NINHVANDUNG)委員長はこのように語りました。
青年ボランティアの中の、多くは愛し合い結婚しました。その一組であるブ・カィン・ディンさんとチャン・ティ・レ・トゥさんのカップルです。ハノイ出身のブ・カィン・ディンさんは次のように語りました。
「テープ」
「最初の日々、島では電気がなかったので、辛いでした。しかし、他の青年の励ましと分かち合って、徐々に慣れて行きました。結婚後、この島での生活がのんびりした気持になるので、ここで生活することにしました」ディンさんの話でした。
青年ボランティアの中にはなくなった人もいますが、残りの人々はこの島をより豊かにするため頑張っています。