作家のミンチェンさんは北部タイビン省で生まれました。幼い頃から彼は、母親、姉の愛にまつわる愛や緑の田畑などの風景を描いた詩を作りましたが、ショートストーリーや小説を創作し、中でも、現実の人生や生涯についての物語は国内でよく愛読されています。ミンチェンさんは次のように語っています。
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「ベトナム南部の戦場に参戦して、故郷に戻れたのは私にとって幸運だったと思います。多くのベトナム兵は戦場で命を落としました。あるいは家に帰った後、枯葉剤被害を受けました。戦後、生き残った兵士として、作家、ジャーナリスト、映画監督でもある私はかつての戦争時代に国のために身を捧げたベトナム兵士の革命事業を讃えるために、筆をとりたいと思います」
1976年に、作家のミンチェンさんは枯葉剤被害者の生涯を描いた「動物の皮膚の色の子供」という作品を公開しました。この本は発売、まもなく、国内の読者から様々な意見が寄せられました。その中には、ミンチェンさんの執筆した物語は事実ではないという意見を言う読者もいました。しかし、この20間にわたり、彼は枯葉剤被害者をテーマにした15冊の本を相次いで出版しました。
「動物の皮膚の色の子供」という本が公開してからの30年後、ベトナム枯葉剤被害者を支持する運動が盛んになっている中で、ミンチェンさんの執筆した本は国内で大きな反響をよんでいます。作家ミンチェンさんは次のように語りました。
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「戦争後遺症を描いた私の本は政府と社会全体が深い関心を寄せており、熱い問題となっています。「孤独を感じない被害者」、「戦争後遺症についての絵」という作品はベトセラーとなり、その売り上げ高は数千億ドンに達しました。その上、ベトナム政府は枯葉剤被害者に対する一連の支援政策を打ち出しました」
国内で有名になった作家のミンチェンさんは首都ハノイにある国営テレビ局のドキュメンタリー監督に転職しました。それ以来、ミンチェンさんが指導した一連のドキュメンタリーは国際映画際で
賞を獲得し、「父と息子も兵士である」という作品はピョンヤンで開催された映画祭で金メダルに輝きました。2007年に彼はドキュメンタリ部門で二つの賞を手にしました。これまでに彼は100点のドキュメンタリーを制作してきました。ミンチェンさんは次のように語っています。
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「ある傷病軍人の瞳の中」という作品は私が制作した初めてのドキュメンタリーです。これは傷病軍人療養所での日常生活を通して、ドキュメンタリーは重症の傷病軍人の気持ちや願い、戦後の国の大きな変貌を描いたもので、私の心からのメッセージでもあります」
一方、若手のカメラマンのグェンミンヒェさんは次のように語っています
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「私はチェン監督と共に仕事をしています。豊富な経験を積んだ彼は、様々な創作イメージを持つ監督です。新しい作品を制作する度に撮影グループは共に会議を行い、ミンチェンさんのイメージを把握し、着手します。」
元兵士であり、作家でジャーナリストで映画監督のミンチェンさんは、現在もかつての戦争時代の兵士についての感動的な物語を心に秘めています。まもなく、国の英雄を讃える新しいドキュメンタリーが国内のテレビで放映されることでしょう。チェンさんはいつまでも国のため、民族の将来のために身を捧げた勇敢な人々について書き続けたいと言います。