チャンホン(Tran hong)記者はアメリカ軍との激しい戦争の最中に報道記者活動を始めました。当時、チャンホンさんが撮影執筆した多くの記事と写真はベトナム人民軍機関紙「クァンドイニャンザン」や共産党機関紙「ニャンザン」などベトナムの有力紙に掲載されました。
チャンホン(Tran hong)記者
ホンさんは次のように語っています(テープ)
「戦争中に、私はベトナム人民軍機関紙「クァンドイニャンザン」の記者として、前線の兵士と家族の大きな損失を見てきました。私は写真撮影に力を注いできましたが特に、兵士の母親の姿は私の心を動かしました。」
このように語ったホンさんはベトナム人の母親の素晴らしい人柄を描いた写真を表現しました。それらの母親は政府から「英雄」称号を贈られた戦没者の母親です。1960年代の思い出について、ホンさんは次のように述べています。(テープ)
「1968年、私の家はハノイのリーナムデ(Ly Nam De)通りにありました。当時、夕暮れになると、お婆さんが孫を連れて、この通りを渡ったという姿が見えました。そして私は92歳のお母さんの見舞いに故郷に帰りました。お母さんは幸せな笑顔で私の頭を洗わせました。お母さんの瞳を見つめて、そのお婆さんと孫の姿、そして、戦争時代に、戦場で命を落とした兵士の母親の姿を思い出しました。」
チャンホンさんは1995年、「ベトナムの母の肖像」をテーマにした写真展を開き、国内で大きな反響を呼びました。ホンさんは次のように語りました。
「写真展に行ったあるアメリカ人記者は、ベトナムの母親の肖像はベトナム軍がアメリカ軍に勝つための原動力であると評論しました。激しい戦場に参戦した兵士たちはどうせ死ぬんだ、生きてる間が勝負だ。その瞬間、最初に彼らの頭の中に浮かんだのは母なのです。母親の存在は勝利するための最大の原動力となります」
カインお婆さん
このように語ったホンさんは多くの地方に足を運び、2千点もの肖像写真を撮影してきました。それぞれの写真はそれぞれの母親についての感動的な物語を描いたものです。ホンさんは次のように語りました(テープ)
「私は南部キェンザン(Kien Giang)省ホンダット(Hon Dat)県ビンソン(Binh Son)村に住むカインという母親の肖像写真を撮りました。その母親には7人の息子がいましたが、7人全員が戦場の志願兵となり、国のために身を捧げました。現在、カインお婆さんは地方の軍の援助で建てられた広くて清潔なチャンリティハウスに住んでいますが、とても寂しいです。初めて会った時、カインお婆さんは軍服を着た私を見つめると、私を抱きしめて、涙を流しました。4回目の訪問で、私はようやくカインさんの真実の肖像を描写できるようになりました」
ホンさんの話でした。
また、「息子を待つ」をテーマにした肖像写真は数え切れないほどの人々の心を捉えました。この写真はベトナムで発生したふたつの戦争で犠牲になった息子と孫の母親、祖母を表したものです。チャンホンさんが撮った数多くの肖像写真はベトナム写真家協会の写真コンクールで賞を受賞しました。今なお、ベトナム各地に足を運んで、写真を撮るのは彼の最も大きな幸せの瞬間です。