脚本家ホァンテックチさん

先ごろ、ベトナムの映画脚本家ホァンテックチ(Hoang Tich Chi)さんはベトナム政府の最も栄誉あるホーチミン賞を受賞しました。「17緯線の昼と夜」「ハノイの女の子」「早朝の町」などに代表する彼の作品はベトナム映画史における輝かしい節目を印すものです。

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ベトナムの映画脚本家ホァンテックチ(Hoang Tich Chi)

まもなく80歳を迎えるホァンテックチさんは数回にわたり、脳出血で入院しましたが、なお元気な顔を見せています。彼は優しくて謙虚(けんきょ)な声で、映画との出会いについて次のように語っています。

(テープ)

「私は映画大学の第1脚本学部で勉強しました。それは難しい学部です。大学の見識は自分から嵐の中へ飛び込むようなものです。現在の脚本家と比べると、私は国の歴史の流れの中に溶け込んで行き、その輝かしい歴史のページを描いた作品を仕上げるために様々なチャンスを持ちました。」

このように語ったホァンチックチさんは1970年代のアメリカ軍との戦争についての映画作品について話しました。当時、チさんは著名な映画監督ハイニンさんと共に、中部ビンリン地区にある激しい戦場に足を運びました。アメリカ戦闘機に爆弾を取り付けた様子を目にして、そして1972年12月にアメリカ戦闘機B52がハノイ市内を爆撃した様子を目にしました。

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映画「17緯線の昼と夜」

それから故郷での戦争で心に深い痛手から「17緯線の昼と夜」、「ハノイの女の子」、「海が呼んでいる」、「初恋」などの一連の作品が生まれました。「17緯線の昼と夜」という映画は1970年開催された第1回ベトナム映画祭で「シルバーロータス」賞に輝きました。この映画に関して、ホァンテックチさんは次のように語りました。

(テープ)

「戦争の最中の1963年、私はベトナムを北南に分断する17緯線にある中部ビンリン地区に足を運びました。この地で激しい戦争の一週間を過ごした後、「17緯線の昼と夜」という映画のシナリオを完成させました。それは17緯線上に置かれた10の兵舎に住んだ士官と兵士から聞いた感動的な物語です」

一方、1970年代のベトナム戦争時代に大きな反響を呼んだ映画は「ハノイの女の子」というものです。この作品に関して、ホァンテックチさんは次のように語っています。

(テープ)

「当時、アメリカの戦闘機B52がハノイ市の住宅街カムテン(Kham Thien)通りを爆撃した後、我々はこの住宅街に来て、遺体を見つけるため、壁を掘りました。私とハニン監督はこの住宅街による空襲被害を描いた映画の作成について話し合いました。そして、「10歳の女の子がヴァィオリンを持って、母親を探す」という物語を聞きました。その夜、アメリカのB52の青い閃光の下で「ハノイの女の子」という映画のシナリオが生まれました。」

チさんはこのように語りました。

一方、ホァンテックチさんの奥さんであるグェンティトァー(Nguyen Thi Thoa)さんは次のように語っています。

「主人は寝食を忘れて、いつもペンを走らせています。夫は芸術家なので子供の教育と家事は私の仕事です。」

半世紀近くにわたり、脚本家ホァンテックチさんは国の歴史の浮き沈みの流れに溶け込み、ベトナム映画発展事業に力を注いできました。彼の執筆した作品は時は流れても永遠に生き続けることでしょう。

 

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