1954年のジュネーブ協定、ベトナム外交活動の大きな教訓

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ジュネーブ会議の光景

ディエン・ビェン・フー作戦に勝利した翌日の1954年5月8日、インドシナにおける戦争の終結と平和の回復に関するジュネーブ会議が開催されました。75日間にわたって行われた交渉や諸活動が終了した後の7月20日に、ベトナム、ラオス、及びカンボジアにおける休戦に関するジュネーブ協定が締結されました。民族の史上初となる、大国による独立、主権、統一、及び領土保全などを含むベトナムの基本的な権利が認知されなければなりませんでした。ジュネーブ協定締結60周年を記念して、「1954年のジュネーブ協定、ベトナム外交活動の大きな教訓」をタイトルにしたファム・ビン・ミン副首相兼外相が執筆した原稿をご紹介します。

ジュネーブ会議には、イギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中国、ベトナム民主共和国、ラオス、カンボジア及びバオダイ政権の代表団が参加しました。ジュネーブ協定は、インドシナにおける平和の回復問題に関するジュネーブ会議の最終宣言;ベトナム、ラオス、カンボジアにおける休戦協定3件;各国がベトナムの独立、主権、統一及び領土保全を尊重し、ベトナムの内政に干渉しないことを公約することや、軍事的な境界線、つまり北緯17度線を「暫定的な軍事境界線」とすること、及びベトナムが1956年7月に総選挙を開催することを認める協定から構成されました。

このジュネーブ会議には、ベトナムの外交官らは大国の支配にある複雑な多国間交渉に初めて参加しました。その背景の中で、国家と民族の利益が外交的戦いを支えるものであることを深く理解したベトナムは、全面的な方策の為に戦い、独立、主権、統一及び領土保全こそが最高の利益であり、ジュネーブ会議で達成すべき基本的な目標でもあると見なしました。

この目標を堅持して、ベトナムは軍事面でも政治面でも戦っていました。軍事面とは、停戦、外国軍の撤退、及びインドシナにおける平和の回復ということです。また、政治面については、ベトナム、ラオス、カンボジアの平和、独立、統一、及び領土保全を確保することです。

そこで、ジュネーブ会議の当初に、ベトナムの代表団は複数の外交活動を主体的に行いました。同時に、ベトナムはソ連、中国、フランスの代表団と会合を積極的に開催し、記者会見を行い、フランスの国民団体や政界人らと会見し、自国の善意と決意を表明すると共に、敵対勢力の好戦的行動を指摘したりしました。これらの活動により、フランス政府はベトナムとインドシナに対する全面的方策を受け入れざるを得ませんでした。会議の文書ではベトナム南北を分割する境界線は暫定的なものであり、2年後に南北が総選挙を開催することを明確に取り上げました。

ジュネーブ会議は大国の構想によって開催されました。ディエン・ビェン・フー作戦の勝利者として、会議に参加したベトナム民主共和国の代表団は交渉の目的を明確にしました。しかし、交渉の方法、交渉の開始と終結点などに関する具体的な段取りは大国主導となり、これらが交渉プロセスを左右しました。したがって1954年のジュネーブ交渉における独立、自主の堅持に関する教訓はさらに貴重になりました。

国の実力を深く認識しており、ソ連、中国を含む大国の利益を深く理解し、さらに国際関係の背景が分かってきたベトナムは、戦場における自らの勝利を安易に妥協しない条件で、ジュネーブ協定を締結する事にしました。この決定は、ベトナム外交の着実な勝利への第一歩に関する教訓の典型的な例えとなっています、着実な勝利の第一歩とは民族解放、国の統一という最終目標の達成を目指すために、新しい自力、新しい地位を作り出さなければならないということです。

その他、外交的闘争と世論との戦いを緊密に結び付け、国際共同体の支持を十分に得られたことは今後の古い教訓ではありません。ジュネーブ会議で、平和、独立、統一、及び領土保全のために取り組むベトナムの努力は世界中の国の人々の共通の願望に合致しました。

ジュネーブ協定の締結から60年間経ちました。世界や地域の情勢、及びベトナムの地位はすっかり変わっていきました。平和、協力、発展は大きな渇望となっています。しかし、世界情勢の複雑さと、大国の力関係はベトナムの安全保障と発展事業に多くの試練をもたらしています。その背景の中で、ジュネーブ会議の教訓は、今日の祖国の建設と防衛事業における昔のままの価値を持ち続けていくことでしょう。

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