枯葉剤被害者
1961年から1971年までの10年間に、アメリカ軍は南ベトナムの4分の1の面積に366キログラムのダイオキシンを含む 8 千万リットルの化学毒性の強い枯葉剤を散布しました。これまでに、全国では480万人が枯葉剤を浴びた他、多くの第二、第三世代の子どもを含む300万人あまりが枯葉剤の被害者となっており、数十万人が枯葉剤により死亡しました。
1975年の南部完全解放以来、ベトナム政府は、枯葉剤被害者による後遺症の解決に向けた具体的な計画を立てました。2000年に、参戦者と枯葉剤被害者の子どもに対する補助政策が出されました。これまでに、およそ30万人がこの補助政策の対象者となっています。
ベトナム枯葉剤被害者協会のグェン・テ・リュク理事長は次のように明らかにしました。
(テープ)
「これまでに、3割の枯葉剤被害者が医療保険に加入しました。およそ25%の枯葉剤被害児がリハビリを受けるようになっています。その他、枯葉剤被害者を対象にした学費、無償融資、低金利借款、電気使用料などに関する様々な優遇政策が実現されています。現在、全国各地では、労働傷病軍人社会事業局の社会福祉施設が活動しています。」
この10年間だけでも、ベトナム枯葉剤被害者協会は国内外の組織や個人から枯葉剤被害者向けの支援募金運動への寄付金、8千億ドン、日本円でおよそ40億円を募りました。
先ほどのリュク理事長は次のように語りました。
(テープ)
「ベトナム枯葉剤被害者協会はこれらの寄付金を利用して、枯葉剤被害者の養護施設やチャリティハウスの建設、枯葉剤被害児向けの奨学金の支給、仕事の斡旋、診療治療、生産活動などを行いました。枯葉剤被害者へのケアとして、様々な形式にて行なわれました。」
2004年1月30日に、ベトナム枯葉剤被害者協会は枯葉剤被害者を代表して、ベトナム戦争中に散布された枯葉剤を生産したアメリカの化学製薬会社37社を相手取って集団訴訟を行ないました。アメリカの裁判所がこの訴訟の受理を却下しましたが、この訴訟を通して、世界各国の人々は枯葉剤による後遺症について深く理解するようになりました。この集団訴訟はアメリカの立法機関と行政機関を初めとするアメリカ政界の態度と認識を変更させました。アメリカ側は枯葉剤・ダイオキシン問題を完全に否定はしたものの、ベトナムにおいて枯葉剤被害者がいることや、ダイオキシンのホットスポットがあったことまでは承認しました。アメリカ政府は、ダイオキシンのホットスポットにおける消毒活動に補助金を提供し、2012年から、ベトナムの枯葉剤被害者に対し毎年5百万ドルを支出することになっています。
ベトナム枯葉剤被害者協会のグェン・テ・リュク理事長は次のように明らかにしました。
(テープ)
「現在、ベトナムはベトナムの枯葉剤被害者だけではなく、ベトナム戦争に参戦したアメリカとその同盟国の復員軍人がアメリカの化学製薬会社の法的および道理的な責任を求める訴訟を継続しています。ベトナム枯葉剤被害者協会がアメリカの政府と化学製薬会社を相手取って訴訟を起こしたことで、両国は過去を振り返り、教訓を引き出した上で、両国関係の発展を目指したいと考えているのです。」
枯葉剤被害者に対するベトナム政府の努力と国内外の組織や個人の支持により、枯葉剤被害者の痛みを少しでも解消したいものです。