Usuda Reiko さんのエッセイ

最近、私のベトナムへの理解が少し進んだと自負した。洪水がきっかけである。

ホイアンに移り住んで4年、近所の人達と簡単なベトナム語ではあるが会話ができるようになった。実に嬉しい。しかし、その文化への理解はまだまだ不十分である。共通点の多い日本とベトナム、日本人とベトナム人なのにである。

その理解できない理由の一つはある単語の意味が解らないためだった。私を(なや)ませてきたそれは’Nước’。’Nước’は水を意味すると同時に国をも意味する。しかしなぜ‘水’と‘国’が同じ単語なのだろうか。私は長年この疑問を抱えてきた。辞書にも本にも回答は見あたらない。

私の母国日本では水はたやすく手に入った。また、(さいわい)にもつい最近まで蛇口(じゃぐち)(ひね)ればすぐに安全な水を飲める。‘水と安全はタダ’と日本を評価した本もあったほどだ。また、日本語には'治水(ちすい)'と言う言葉が有る。いつの時代の為政者(せいしゃ)も人々に水を供給し、命や生活を災害からことに腐心(ふしん)してきた。

片やベトナムではどうだろう。この4年間に、(かわ)べりにある私の家はすでに洪水に数回見舞われた。初めての洪水の時には、道路や家を(おお)()くす激流を見て足が(すく)んだ。対岸(たいがん)のニッパ椰子(やし)の林は水の下に(しず)(かげ)(かたち)もない。家々も屋根の一部しか見えない。我が家も1,2m浸水した。私は大急(おおいそ)ぎで2階に家財道具を運び上げ、水が引くまで2階に(こも)っていた。大量の水が高速で川を流れ下る様子は想像を(ぜっ)するものだった。通常は人の生活と命を育む水が、一度牙(いちどきば)をむくと大きな脅威(きょうい)となって人の命をも脅かすことを実感した。

と同時にこうも考えた。ベトナム人は時に人知(じんち)の及ばなくなる水を国と同じ()で表現し(あが)めてきたのではないだろうかと。多分、この考えは間違ってはいないだろう。しかし、当地(とうち)の人々を水に結びつけるものは決して畏敬(いけい)の念や恐怖心(きょうふしん)だけではないだろう。

一昼夜(いっちゅうや)経って川の水が引いた。(あらし)の過ぎ去った後の穏やかな川べりでは子ども達が遊び始めた。大人達は川の水で水牛を洗い、小舟から網を投げてエビや川魚(かわうお)を採っている。子ども達の声と(ふね)ばたを叩(たた)く(おと)だけが静かさを取り戻した川面(かわも)に響く。

これこそが日常風景であり、ベトナム人と水の距離なのだ。そうでなければ、誰が可愛い自分の子どもにthủy(水)やHải(海) といった水に関わる名前を付けるだろうか。水はベトナム人にも、日本人にも欠かせない相棒(あいぼう)なのだ。

こうして、洪水が私のベトナムへの理解を深めてくれた、ささやかではあるが。


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