さようならマイさん

オールド リスナーのみなさんなら覚えておられるでしょうか。かつて「マイ」という女性アナウンサーがいました。本名は「グエン・ティ・トエット」ですが、放送では聞きとりやすいように「マイ」と名乗っていました。そのマイさんが11月25日入院中のニャチャン病院で亡くなりました。68歳でした。

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バーディン広場前を走るトゥエットさん(右)と小松さん(撮影1999年)

マイさんは戦争が激化していた1965年に入局し、2001年に定年退職するまでの35年間、日本語放送を担ってきました。大学では中国語を専攻していましたが63年に日本語課が創設されたため、「漢字がわかるなら」と日本語課へ配属されました。それからまた日本語を習得した頑張り屋さんでした。その後も翻訳とアナウンスをするだけでなく、90年代からは後進の育成にも力を入れ、現在のスタッフはみなマイさんを師と仰いでいます。

美しい声と凛とした語り口調からファンが多かったことも印象的です。退職後はそんな日本の古いリスナーに招待され2001年5月には一か月間、北は北海道・函館(はこだて)から南は九州・大分(おおいた)まで、各地のファンと交流の旅をしたのも特筆すべき事でしょう。

26日のニャチャンは、リゾート地には珍しく雨がしとしと降る日でした。まるでマイさんのために天が涙を流しているかのようなやさしい雨でした。戦火の中で結婚・出産、子育てをしながら日本向け放送を続けてきたマイさん、どうかゆっくりお休みください。合掌

小松・みゆき

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