ハノイ在住の新妻東一さんのエッセイ

(VOVWORLD) - 短波放送だから、放送局が遠距離にあっても受信はできるものの、日によっては聞こえたり聞こえなかったりする。同じ放送時間であっても、あたかも寄せては返す波のごとく言葉が聞き取れたり、聞き取れなかったりを繰り返すこともあった。

私がまだ小学生高学年の頃、海外の短波放送を聴くのがはやった。お年玉をためてソニー製の短波ラジオを購入し、周波数を合わせた。聞いたことのないような外国語が飛び込んでくる。ワクワクした。もちろん英語すら知らない小学生が外国語の放送などわかるはずもない。おのずと日本語放送に周波数をあわせることになる。

当時よく聞いたのは、ラジオ・オーストラリアや平壌朝鮮中央放送局、BBCの日本語放送などであった。中でも比較的良好に受信できたのは「ベトナムの声放送局」の日本語放送だった。

短波放送だから、放送局が遠距離にあっても受信はできるものの、日によっては聞こえたり聞こえなかったりする。同じ放送時間であっても、あたかも寄せては返す波のごとく言葉が聞き取れたり、聞き取れなかったりを繰り返すこともあった。それが短波ラジオを聴く醍醐味でもあった。外部アンテナを工夫して設置し、少しでも受信状態が改善すれば嬉しかった。

当時、受信状況を報告する手紙を書いて、海外のラジオ局に送ると受信確認証、ベリカードが返送されることを知った。そこで私は「ベトナムの声放送局」に受信状況を報告する手紙を書いて送った。そんな手紙を送ったことなど忘れた頃にベトナムからベリカードが届く。海外から自分宛に手紙が届くなどということはそれまで一度も経験したことがなかった。ベトナムから郵便物が届いた、ただそれだけで嬉しかった。ベリカードそのものは、あまり質のよくない黄ばんだ紙に印字されていたことを記憶している。そこに何が書かれていたかは残念ながら覚えていない。

当時はまだベトナム戦争が続いていた。毎日のようにベトナムでの戦争の悲惨さが新聞記事や雑誌、テレビで伝えられていた。子ども心にも胸が痛んだ。しかし新聞、テレビの報道だけではベトナム戦争ははるか遠い国の出来事であるかのようにも感じていた。

その遠いはずのベトナムから日本語のラジオ放送が聞こえてくる。それだけで、小学生の私にはベトナムがより身近な国に感じられたのだ。

「ベトナムの声放送局」の日本語放送に耳を傾けていた日本のラジオ少年が45年後、ハノイにベトナム人の妻と子どもを得て暮らしている。そう思うとあのラジオ放送が私をベトナムに導いてくれたのかもしれないとも思えてくる。

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