作曲家バンキーさん(左)
ベトナムの著名な作曲家バンキーさんと言えば、だれもが歌曲「希望の歌」を思い浮かべます。これまでに、彼は、数多くの歌曲、音楽作品、オペラ、交響曲を作曲してきました。作曲家バンキーさんは1928年に北部ナムディン省ブバン県で生まれました。
彼は1946年に、「昔の月」という歌曲を初めて作曲しました。その後、中部ゲアン省にある音楽講座に参加しました。1954年に行われた全国文芸大会で、バンキーさんは授賞しました。1955年に、彼は、ベトナム作曲家協会執行委員会のメンバーになりました。バンキーさんは外国人専門家による多く音楽セミナーに参加し、旧ソ連で研修しました。帰国後、数多くの有名な音楽作品を作りました。
バンキーさんについて、ベトナムの作曲家グェン・クオンさんは次のように明らかにしています。
(テープ)
「バンキーさんはベトナム作曲界の中で稀な存在です。彼は、ユニークな歌曲のみならず、オペラや交響曲も創作しています。1972年12月に、ドイツのベルリンで、彼の交響曲はベートーヴェン、チャイコフスキー、プロコフイエフなど世界的に著名な作曲家の作品と共に演奏されましたよ。」
作曲家バンキーさんの作品は、国の明るい将来に向けて、信頼と楽観性という気持ちが表れています。彼は、秋の作曲家とも呼ばれています。この作曲家にとって、ハノイの青空は特別な意義を持っているそうです。バンキーさんは次のように明らかにしました。
(テープ)
「私にとってハノイの秋の空は、特別な美しさを感じます。これは、自然の美しさだけのものではなく、渇望を反映しています。歌曲『ハノイの青空』はそれらのことを言いたいのです。」
創作活動の中で、作曲家バンキーさんは、およそ400点の作品を創作しました。その中の多くの歌曲はベトナム音楽界の経典的な作品として見なされています。中でも、「希望の歌」という歌曲はバンキーさんの名を一躍有名にしました。この歌は、長い抗米戦争の最中に創作されましたが、現在でも数多くの人々から好まれています。歌の内容は、作曲家の思考や感情を表し、生活に希望の気持ちを伝えています。
この歌曲について、バンキーさんは次のように明らかにしています。
(テープ)
「抗米救国闘争中に、その歌を創作してきました。苦しい時期においても、明日の勝利を希望していました。ひいては、ベトナムが平和、統一するという私の夢を表しました。」
ベトナムの革命音楽に多大な貢献をしてきたバンキーさんは国家から複数の勲章を授与されました。