中部クアンチ省にあるクアンチ古城はタクハン川沿いにあり、かつてのアメリカとの戦争で熾烈を極めた激戦場として知られてきました。このクアンチ古城は国の独立のため身をささげた多くの人民軍兵士の共同墓地があります。現在、クアンチ古城は国内外の多くの観光客を引き付ける歴史遺跡となっています。
クアンチ古城は、1809年のグェン王朝のザロン王時代に建設されました。当初、この城は粘土で建てられましたが、後に、1827年ミンマン王はレンガと粘土で堅固に建造しました。この古城は真四角で、城壁の周囲は約2000mです。その周辺には高い壁と深い堀で囲まれました。この古城の総面積はおよそ20ヘクタールです。封建時代に、クァンチ古城は軍事面において重要な城であるだけでなく、行政、政治、経済の中心地でもあります。
1954年に、インドシナ和平に関するジュネーブ協定が締結されました。これにより、ベンハイ(Ben Hai)川をはさんだベトナム北部と南部を分裂させた軍事ライン(DMZ=非武装地帯)が設置されました。クァンチ古城を含め、クアンチ町は南ベトナム政権の管理下に置かれました。
クアンチは17度線に接する地域ですから、米軍にとっては北部侵攻の足がかりにもなり、17度線を境にした最北端の盾でもあったわけです。1954年から1971年まで、このクァンチ古城では激しい戦いが行われました。特に、1972年の半ばに、ベトナム人民軍からクアンチ古城を奪還するためアメリカと南ベトナム政権は爆撃と大砲による射撃を行いました。この戦闘は9月16日までの81日間続きました。これにより、クアンチ古城は大破壊されました。1993年~1995年、クアンチ省行政府はクアンチ古城の一部を改修した他、古城の中央に大きいな記念塔を建設しました。クアンチ古城遺跡管理委員会のカップ・ティ・テイェン・チャン( Cap Thi Thien Trang) 委員長は次のように語りました。
(テープ)
「共産党と政府の支援により、クァンチ古城遺跡は修復、改修され、国の独立のため、命をささげた人々を偲ぶための記念塔が建てられます。チュオンソン共同墓地、国道9号線の共同墓地などの他の共同墓地にはそれぞれの戦没者は個別の墓に安置されますが、このクァンチ古城の共同墓地には全員が一つの共同墓地に安置されます。記念塔は1972年のクァンチ古城を守るための戦闘で犠牲になったの墓をかたどったものです。」
クァンチ古城を訪れる人々の中にはかつての戦闘に参戦した復員軍人もいます。国防省国防戦略研究所のブ・コク・フン( Vu Ngoc Hung) 元所長もその一人です。
(テープ)
「戦争終結以来、幾度もこの戦場に来ました。戻るたびに、心が動かしていました。私たちは運よく生き残っています。私の戦友の多くはこの地で眠っています」
しかし、現在、クァンチ古城を訪れる観光客の中には復員軍人だけでなく、若者も多くいます。クァンチ古城の観光ガイドレ・ティ・タム( Le Thi Tam) さんは次のように語りました。
(テープ)
「観光客が最も多い時期は毎年3月から8月までです。特に、4月30日の南部完全解放記念日と7月27日の傷病兵・戦没者の日です。」
2014年、クァンチ古城は国家の特別な遺跡として認定されました。現在、この古城は若い世代へ愛国伝統を教育するための場となる他、国内外の観光客にとって魅力的な見所です。クアンチ古城を訪れると、今日の平和な生活の価値を深く理解できることでしょう