チュオンサー群島における聖なるシンボルはベトナムが領有権を主張するため建設された標識です。チュオンサー群島を訪れる人々の最初の訪問先はここにある標識です。
チュオンサー群島に行くならば、遠い所からでも青空に浮かんだ金星紅旗と標識が見えます。桟橋からは「ベトナム社会主義共和国・チュオンサー島」という文字が書かれた門があり、この門を潜ると、大きな領有権の標識がそびえたっています。チュオンサー群島に建設された標識は円筒形の塔で、その先端には紋章と「社会主義共和国」という文字があり、下には金星紅旗の映像、チュオンサー島の北緯と東経が書かれています。チュオンサー島に駐屯している海軍部隊の幹部ディン・バン・ハイ ( Dinh Van Hai) さんは次のように語りました。
(テープ)
「チュオンサー島は沖合いにある街です。この島の標識は色あせない材料で作られました。この島には島に対するベトナムの領有権を宣言するもう一つの工事があります。それは上空から見下ろすと、陶器製のベトナム国旗が見えるということです。」
チュオンサー群島に駐屯している幹部と兵士にとって、この島で国旗が翻っていることと標識は特別な意義があります。まず、これはこの島に対するベトナムの領有権を主張するシンボルですが、これらの人々の国に対する忠誠と志を示しています。また、これはチュオンサー群島に対する全国の人々の気持ちが込められています。チュオンサー群島にある島々にはぞれぞれ標識が設置されています。また、チュオンザー群島の9つの島には9基の灯台が建てられました。これもベトナムの領有権を主張する標識とされています。
長年にわたり、チュオンサー群島は全国からの深い関心と大きな支援を受けていました。チュオンサー群島に思いを馳せるための多くの運動が実施されてきました。例えば、ホーチミン市の共産青年同盟は青年に対し、国の海と島の領有権を宣伝教育するため、「チュオンサー群島の領有権の標識建設」という運動を展開してきました。また、南部カントー市の高校は、ソントゥティ島での領有権標識の建設運動を実施してきました。同校の共産青年同盟のファン・ホアン・ハイ( Phan Hoang Hai) 担当者は次のように語りました。
(テープ)
「この標識を建設してから、学生らは歴史の学習に大きな進歩がみられました。この運動で、学生たちは国の歴史に興味を持つようになりました」
中部ダナン市に住むチャン・バン・スアット ( Tran Van Xuat) さんは3年間、チュオンサー群島に駐屯した経験があります。スアットさんはその歳月に関する素晴らしい思い出を記憶に留めています。これにより、スアットさんは自分の家で、標識の模型を設置しました。スアットさんは次のように語りました。
(テープ)
「私は1984年~1987年まで、チュオンサー群島に駐屯していました。当時、チュオンサー群島での生活はとても困難でした。本土に戻り、生活は楽になりましたが、チュオンサー群島に駐屯している戦友との日々を忘れることはできません。この標識を設置するのは戦友のことを思い出すためのものです」
チュオンサー群島にあるそれぞれの建設工事やそこに駐屯している幹部や兵士の一人一人がベトナムの領有権を宣言する標識であると言えるでしょう。