中部にある古都フエの訪れ

(VOVWORLD) -古都フェ遺跡群の中には1805年にグェン(阮)王朝時代のミンマン(明命)王が建設した王宮が代表的な見所です。200年もの歳月を経た今もなお、この王宮には140の施設が昔のまま保存されています。

ベトナム中部にある古都フエはトアティンフエ省の省都で、19世紀から20世紀にかけて、ベトナムに存在していたグェン朝の都として栄えていました。歴史を遡ると15世紀後半にフエという地名が初めて出てきます。18世紀前半から19世紀当初まで、フエがテイソン( Tay Son) という王朝の都として栄えていました。ベトナムの歴史学者レー・バン・ランさんは次のように語っています。

(テープ) 

「ベトナムの最後の王朝時代であるグェン王朝の王様は当時のベトナムの都としてフエを選ぶことは理にかなった決定です。当時、フエはベトナムの政治的中心地でした。」

中部にある古都フエの訪れ - ảnh 1フェ遺跡群 の夜

古都フェ遺跡群の中には1805年にグェン(阮)王朝時代のミンマン(明命)王が建設した王宮が代表的な見所です。200年もの歳月を経た今もなお、この王宮には140の施設が昔のまま保存されています。フエ市内を流れるフォン川(香河)の北岸に位置する王宮の総面積は500ヘクタールで、周囲は10キロメートル、高さ5mの城壁で囲み、外側には内堀がめぐらされています。王宮は皇城(ホアンタイン)あるいは大内(ダイノイ)とも呼ばれました。門は四方に一つずつあり、南を午門(ゴモンNgo Mon)といい、王様だけがこのゴモンを利用できました。

王宮の中央には阮朝の政治の中心となっていた太和殿が建ち、太和殿の後方には塀で囲まれた紫禁城が置かれています。太和殿の屋根、柱、玉座には皇帝のシンボルである龍があしらわれています。

古都フェの遺跡群を探検する旅で見逃すことができないのはグェン王朝の歴代の帝廟(お墓)です。この遺跡は王城の西側にあり、フォン川の両岸に位置しています。これらの廟はベトナム独特の建築様式を持ち、それぞれはそれぞれの王様の性格を示しています。初代皇帝ザーロン帝廟はひとつの山がまるまる陵墓といった壮大な造りがあります。

皇帝の明命帝が自ら設計した陵墓は、芸術性に優れた中国式庭園です。皇帝 トゥドック帝朝の陵墓は1864年から3年かけて建てられ、ミンマン帝以上に中国と密接な関係を持っていたことを現すよう、陵墓の中心に大きな蓮の池を配置した風雅な中国風庭園建築が見所です。そのほか敷地内には住居やお寺を建てて、生前から別荘として愛用していました。

フェ王宮にはグー・ビン( Ngu Binh) 山とフォン( Huong) 川に囲まれ、古都を守ると共に、この古都の詩的風景を作り出しています。先ほどの歴史学者レー・バン・ランさんはさらに次のように語りました。

(テープ)  

「19世紀初頭に、ベトナムの有名な詩人カオ・バー・クァットはフエを流れるフォン川について詩を創作しています。この川は穏やかな流れですが、クァット詩人はこの川を青い空に向かっている剣のように例えました。実際、フエはロマンチックなイメージですが、強固で激しい性格を持っているからです。フエで発生した1945年の8月革命はその一つの表れです」

1993年、古都フエの遺跡群がユネスコ=国連教育科学文化機関により、世界文化遺産として認定されました。古都フエはベトナムの重要な歴史的段階の都として知られるだけでなく、建築様式においても重要な意義を持つことでしょう。


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