(VOVWORLD) -まもなく開催されるベトナム共産党の第13回大会を迎えるにあたり、1月11日付のベトナム共産党機関紙『ニャンザン』は「ベトナム共産党の設立・ベトナム革命の偉大な転換点」という見出しの記事を掲載しました。その内容は次の通りです。
グエン・アイ・クォック氏(後のホー・チ・ミン)は1911年にベトナムを出国し、世界各国を回り、働き、革命の理論を研究しながら、実践を体験しました。その結果、グエン・アイ・クォック氏は民族解放のため、唯一の道はプロレタリア革命を行うということとその目標を実現するため、革命の政党を設立するということが分かりました。
そのため、グエン・アイ・クォック氏は1925年、ベトナム革命青年協会を設立し、幹部の育成を行いながら、労働者運動や愛国運動を通じて、国内でマルクスレーニン主義の民族解放思想を宣伝しました。そして、1929年3月、ハノイ市内にあるハムロン( Ham Long) 通り5D番地で、ベトナムにおける共産党の最初の支部が結成されました。その目的は革命運動を指導するため、ベトナム革命青年協会の代わりに共産党を設立するということです。
3か月後の1929年6月17日、ハノイ市内にあるカムティン( Kham Thien) 通り312番地で、北部の各地方にある共産党支部は会議を行い、インドシナ共産党を設立しました。そして、同年8月、南部で、安南共産党が、そして、1930年1月1日、インドシナ共産連盟が設立されました。
これにより、短い期間に、ベトナムでは3つの共産主義者の組織が結成されました。これは当時の革命の趨勢を反映しながらも分裂の危機を予告しています。当時のベトナム革命の差し迫った要求は全国規模での革命運動を指導するため統一された共産党を設立するということです。コミンテルンの提案、および、コミンテルンの特派員として、グエン・アイ・クォック氏は国内にある共産主義者の組織を統一させるための会議を主宰しました。
1930年1月6日から2月初旬にかけて、香港の九龍半島でその会議が行われ、インドシナ共産党と安南共産党の代表が参加しました。会議ではインドシナ共産党と安南共産党を合併させ、ベトナム共産党を設立することが決定された他、グエン・アイ・クォック氏が作成した省略政綱や省略策略、共産党の省略規約を採択しました。会議は労働者協会、農民協会、反帝協会、救済協会の設立をも決定しました。1930年3月2日、ベトナム共産党が正式に設立されました。その会議の後、同月24日、インドシナ共産党連盟もベトナム共産党に加盟しました。
このように、ベトナム共産党の誕生はベトナムにおける民族解放闘争や階級闘争の結果であり、マルクス・レーニン主義と20世紀初頭における労働者運動や愛国運動の結晶でもあります。この出来事はベトナム革命の偉大な転換点を記し、救国の道がなかった長い期間に終止符を打ちました。それから、ベトナム革命は新しい発展段階に入りました。